彼のこと
松前家に待望の男児が産まれました。名前はまだ決まっておらず、
それよりも深刻なのは母親である百香里は出産後体調を崩し病院でずっと眠ったままということ。
総司は何時も仕事を終えるとすぐに彼女の元へ向かい様子を見て居る状態。
「マモ急いで!もっともっとすぴーどあっぷ!マッハだよ!マッハ!」
「気持ちは十二分に理解できるがこれ以上出したら法に引っかかるしこの車ではマッハは出ない」
「早くママの所行きたい。もう起きてるかな。…ママ」
「そんな顔をしないで。大丈夫、義姉さんはしっかりしてる」
「うん。ママ、大丈夫だもんね。ちょっと疲れて寝てるだけだもんね」
「そうだ」
両親のかわりに叔父さんが司を迎えに行き家に戻るのだがやはり彼女も母親の元へ行きたがるので
結局は一緒に病院へと向かう。毎度姪っ子に連れ出されてはたまらないと恋人に引っ張られ渉は居ない。
たいへん不服そうではあったがこれ以上梨香に嘘泣き出されてはたまらないと渋々付き合って出て行く。
「ママ!」
母親の居る病室は分かっている。
真守が看護師から話を聞いている間も我慢できず司は走ってママの居る病室へ入った。
慌てたからノックはしていない。そこにはいまだ眠ったままのママと心配そうに見つめているパパ。
「司」
「ママおきた?」
急いでママに駆け寄るとパパに抱っこされる。上から見る眠ったママ。顔色は良さそう。
息だってしてる。けど何時もみたいに目を開けて「おはよう司」と言ってくれない。
「ユカリちゃんよう気張ったもんでな。もすこし休ましたって」
「…ママ」
「それよか2人で赤ちゃんみてこか。弟やで」
「ママ1人にしたらダメ」
「僕が見ていますからどうぞ行って来てください」
「真守。ほな、行こか」
不安そうにする司の頭を撫でて総司は病室を後にする。自分も本音は不安で辛くて。
目を覚ましてくれない彼女を無理やり強引にでも起こしてしまいたい衝動と戦っていた。
そんなの良くないのに。いい歳をして馬鹿な事を考えていると自分で自分が嫌になる。
新生児ルームにいる看護師さんに話をして息子の場所を教えてもらった。
「寝てるの?おとなしい」
「起きてるみたいやけど。ほれ、司。お姉ちゃんやでって手ふったり」
「……名前は?」
「まだ。ユカリちゃんが目覚ましてからな」
「そっか。…あかちゃん。お姉ちゃんだよ。おーい」
5分ほどそこですごし百香里のもとへ戻ってくると相変わらず彼女は寝たまま。
総司は司に見られないように軽いため息をして真守と視線が合い苦笑する。
自分が何時までもここに居たら司が気にして心配する。
心配する事なんてない。ただちょっと疲れているだけなのだから。
「真守、悪いんやけど司と夕飯食べてきてくれへんか。俺」
「分かっています、兄さんの分も持ち帰りますからゆっくりしてください」
「すまん」
もう少しだけ百香里の傍にいたい。真守はそんな兄の気持ちを察し司の手を引いて病室を出た。
心配そうにしていたがお腹は空いている。何が言いかの話に切り替わると嬉しそうに希望を述べていた。
可愛いもんだと笑っていたら握っていた妻の手がピクっと反応して。
「……またハンバーグとカラアゲですか…?…栄養偏りすぎです…」
「百香里」
「……もっと野菜も」
「百香里。百香里。…起きてたんやったらもっと早言うてくれんと。もう。心臓に悪い」
握っていた手にキスして彼女にもキスしてちょっと泣きそうな自分。
出産して2日くらい寝ていたから。総司が1番怖かった。
「おきたくても力が入らなくて…、でも……声は聞こえてました」
「そうか。よかった。ほんま。…よかった」
ゆっくりと百香里を抱き上げそのまま胸に収める。少し痩せてしまったろうか。
でもちゃんと温もりと心臓の鼓動があって嬉しくて何度も頬にキスした。
「……ね。総司さん」
「ん」
百香里はそんな夫の顔を手で阻みつつ。
「男の子ですよね」
「せやね」
彼女は嬉しそうな、でもちょっと困ったような。何とも言えない複雑な顔をした。
手放しには喜べないだろう。松前家当主の嫡男なんて。総司としては何も求めないつもりではいるけれど。
見えないところでそうはさせてくれない空気がどこかにあるのも何となく分かっている。
起き上がりベッドに座った百香里を支えるように総司も座り抱きしめて暫し大人しくしていて。
「前から思ってたんですけど。…男の子は、総司さんの実家で育てたいです」
「実家って。あんなとこ人の住むとことちゃうで」
「ご自身のお家にそんな言い方ないでしょ」
「今の部屋でも十分子ども部屋あるし。男やからってンな無茶せんでも」
「私がそうしたかったんです。ダメなら、いいです」
松前家の長男が住むべき正当なる場所で育てる。そんなの型に嵌った愚かな母親と思うかもしれない。
自分だってしきたりとか慣わしとかそれこそそこに住むに相応しい養子も教養も何も持ってないけど。
百香里は誰にも相談せず生まれた子どもが男の子ならと密かに考えていた。ずっと前から。こっそりと。
「そういうんは俺にも相談してほしいな」
「勝手な我侭を言ってる自覚はあります。ごめんなさい、すぐ諦めます」
「まあまあ。…俺が今までユカリちゃんにアカンて言うたことあった?」
「え」
「それもあるけど。どないする。坊主の名前」
「あ。総司さんが決めてください。司は私の母がつけましたし」
「ほな。太郎」
「もう。ここでふざけないでだくさい。あ。総太郎なら」
「総はもうええやん」
「……」
「はい。えー…じゃ、…そう、…総…そうや、寝てて腹減ってるやろ飯にしよか」
「お名前は?」
「…だ…だってぇん」
確かに長男はよく分からん理由で代々総の字を使ってきたらしいし自分もある。
だからってそれを自分の子どもにまで押し付けたいかと聞かれると総司はNOだ。
百香里は自由な性格をしているがソコの所は厳しくルールに乗っ取って息子に総を欲しがる。
型に嵌った松前家から疎外感を感じるから余計にそうさせるのだろうか。
「私、寝ている時に夢を見ました。知らないおじいさんとおばあさんが出てくる夢。
最初は私たちの未来の姿なのかなって思ったんですけどね。誰だったのかなあ」
「……あれ。俺なんか嫌な予感がするんやけど」
「これってきっと意味があると思うんです。ね。総司さん」
「気のせいやないかなあ」
「総司さん」
その潤んだ上目遣いはマネして司もするけどやっぱりママの方が効果が抜群。
いや、そんな下心万歳な事を考えている場合ではない。
「せやねえ。そんな意味深な夢に出てきそうな名前やったら松前総吾っちゅうジジイかなあ。
ガキの頃よう聞いた。何でも松前家の礎を……あかん、…これはあかん話や」
「……」
「…うわあ。ごっつ目がキラキラしとる」
これも司がよくマネしてくるおねだりポーズだがやっぱりママの威力は恐ろしい。
「松前総吾。いい名前ですね」
「太郎でええんとちゃう。俺はもう嫌や。家の妙なルール押し付けんの。
長男がどうとか歴史がどうとか。それでそのこが逃げ出したらどうする?」
「それは…そう、なんですけど。でも、悪い面だけじゃないと思うんです。
この家に生まれてよかったって思って欲しいし。そういうルールに私は変えて行きたい。
大それた事を言ってますけど、私もちゃんと馬鹿なりにフォローしまし。あの。それじゃ、だめ?」
「ユカリちゃんだけにはさせへん。俺もちゃんと話しはする。けどな。…うーん。あかん。可愛い顔」
「あなた。ね。ね?」
「……ほんま甘え上手になりよってからに」
もう降参するしかない。総司は軽くため息をしてから百香里の唇を奪う。
彼女のお願いにはかなわない。百香里を抱きしめると退院の手続きを取りに一端部屋を出た。
その後、部屋に戻ってきた百香里は司に盛大に甘えられて。
叔父さんたちも祝いの品なんかくれたりして。ワイワイと賑やかさが戻る。
「総吾。ああ、松前家の礎を築いたというあの。いと思いますよ」
「俺もアホほど聞いたわソイツの名前。つかやっぱ総使うんだな」
「ええちゅうのに、どーしてもユカリちゃんが気にしてな」
「なるほど」
「何がいいのかねえ。好きにキメりゃいいのに。太郎とか」
「お前」
「冗談だって」
部屋に戻り。授乳中で部屋に居る百香里とそれを見ている司。
その間に1階で3兄弟は酒を酌み交わす事にした。珍しく。
「ほんで。実家で育てたいって言うてる」
「あんな所で育てたら変なのが出来るぞ」
「渉」
「ユカリちゃんなりに考えてくれてるんやと思う。家の事」
「義姉さんのルールでいいと言ったのに。やはりまだ気にして」
「なあ。そうなると司も居ないのか。…あいつも、連れて行っちまうのか」
「当然だろう」
「……そっか」
総司の言葉に深く頷いている真守。酒の入ったグラスを揺らしながら不服そうな顔をする渉。
それぞれがそれぞれの反応を見せる中。ドシドシと元気に階段を下りてくる音。
「パパ!パパ!ママがよんでるよ!」
「分かっとるでんな慌てんでもええがな」
「早く早く!」
バシバシ父親を叩きながら母の元へ行かせようとせっつく司。
総司は苦笑しながら席を立ち2階へ。その空いた席に司は座った。
お酒は飲めないから真守にジュースをコップに入れてもらって。
「……」
「どうした司」
「…ユズ、なんか…怒ってる」
最初は普通に飲んでつまみを食べていた司だが様子が変だと気づいたのか
食べていた手を止めてじっと大人しくなってしまった。それを真守に問いかけられ。
そういえばいつもならすぐに声をかけてくる渉が大人しい。というかふて腐れている。
「渉の事は気にしないでいい。それよりも司、引越しの話は聞いてる?」
「うん。パパのあのおっきなお家に引っ越すって」
「…嫌じゃ、ない?怖い思いをしたんじゃないか」
「怖くない。パパもママもみどりも総ちゃんも居るもん」
「俺たちは…居ねえんだぞ」
どうやらすんなり引っ越す事を受け入れている司にいい大人が拗ねている模様。
その気持ちは真守も分からないでもない。一家が居なくなったこの部屋はきっと暗い。
それが以前までは普通だったなんてもう思い出せないくらい。そう過去でもないのに。
「……。でもすぐ来てくれるもん!おこさまケータイの1ばんはユズだもん!」
「便利屋か俺は」
「嬉しそうな顔をして」
「うっせえ」
可愛くシールでデコられた小さいお子様ケータイをパカっとあけて短縮ボタンを見せる。
確かに1番を押すと渉の携帯番号が出てきた。そして何時も何かあると呼ばれるのは彼。
因みに真守は3番。2番はママ。パパは無い。だって短縮ボタンは3つまでだから。
「司が1番好きなあたりめさんあげるからご機嫌なおそうね」
「だそうだ」
「はいはい」
「あーん」
「…いいよ」
「あーんなの」
「……、…どうも」
「よかったな渉」
「マモもだよ」
「僕もか」
「よかったなぁ専務さんよぉ」
「……」
とうとう来たその日にそれぞれが複雑な思いを抱きながらもその場は笑がおきて。
ワイワイしていると授乳を終えた百香里たちがおりてきて不思議そうにしていた。
何のお話ですか?と。司は笑ってよくわかんない、と何時もの調子で返事した。
こうして幼い総吾と松前長男一家は松前家の実家へと移り住み月日は流れる。
「奥様がお世話なさった後の庭の汚さといったらもう目も当てられません」
「庭の手入れとドロ遊びを一緒になさっているのですよ。あの司さまと一緒になって」
「何方か仰ったほうがいいのでは?あのまま勝手にされては松前家の面目が」
「お洋服もあんなに汚されて。本当に下品としか表現しようがない」
広い庭の手入れをする百香里たちのすぐ傍で珍しく言葉をかわす家政婦たち。
もちろん百香里に対しては挨拶と業務連絡以外何も喋りかけたりはしない。
それは司にも同じ事。お互いに冷戦であることは意識しておりもう何とも思わない。
「……」
「ああ、総吾様。総吾様はこれから真守坊ちゃまのご自宅でお勉強でしたね」
「お車の手配は既に済んでおりますので。どうぞ玄関へ」
何時の間に後ろに立っていたのか。機械的な彼女たちが唯一表情を見せる幼い次期当主。
手にはママが作ってくれたカバン。その中には難しい教材やノートに筆記用具が入っている。
彼女たちに言われるままに静に大人しく玄関へ向かう総吾。彼は何時も礼儀正しく大人しい子。
靴を履き終えて玄関に立つ姿だけなのに送り出す家政婦たちには次期当主の風格さえ見える。
「…烏丸さん」
「は、はい。何か不備でもありましたでしょうか」
何時もなら一礼して家を出て行くのに今日は珍しく家政婦の1人に声をかける。
「不備は無いよ。何時も通り。いい仕事をしている」
「ありがとうございます」
「そんな事はどうだっていいんだ」
「はい?」
「ママを下品と言ったろ」
冷たい視線がさらに冷たく鋭くなって家政婦を貫く。
まだ幼い少年なのに。その眼光の恐ろしさにすぐに返事が出来ない。
「……総吾様」
「パパには言わないでおいてあげる。パパが一声かければ再就職先だって響く。
それくらい影響力があることは理解してるはずだろ?じゃあ、言葉には気をつけようね」
「…も、申し訳ございません」
「謝って欲しい訳じゃないんだ。ただ、…次、ママを貶したら僕はあなたを何処までも貶めます」
「……」
「どんな方法でも使います。子どもだけど、子どもだから出来る事もあるんだよ」
「……はい」
激昂するわけでもなく声はいたって何時も通り大人しいもの。でもその言葉は恐ろしく
彼が心底怒っているのだという事を知らしめる。その空気に圧倒されたのか
揃って見送りに来ていた家政婦たちは視線を逸らす。名指しされた家政婦は冷や汗。
「い…いってらっしゃいませ」
それでも頭をさげ挨拶をした。総吾はそれを無言のまま踵を返し玄関を出る。
「なめんなや」
ぼそりと呟いて。玄関から門への長い道を歩いていたら
ドロだらけの司と少しドロがついた百香里がやってきた。
その姿に総吾は思わず笑ってしまう。
「総ちゃん!みてみて!」
「ダメよ司。総吾はこれから出かけるんだから」
「そっか」
「ごめんね。後で見るね。それよりママ。シャワー浴びたら。ドロだらけだよ」
「そうね。司も行こうか」
「うん!いってらっしゃい!」
「気をつけてね」
「うん。いってきます」
おわり