変わらないもの
何時かはこんな日が来るんだろうなとは頭の片隅で分かっていた。
でも、どこかで考えないように奥底へ隠すように仕舞っていたように思う。
嫌な事から逃げる体質は昔から変わらない。いつになっても変わらない。
メールをもらいそれを読んでまずは深いため息をして、はや3日経過。
「日曜やしはよ返事せんとな……。どうしたもんか」
何時もなら仕事から帰ると部屋着にも着替えずまずは百香里と子どもたちの顔を見るのに
珍しくすぐにリビングには行かず寝室のベッドに座ったまま動かない総司。
ずっと携帯を眺めている。どうしようか考えながら。でも、結論が出なくて。
「なんでせんの?」
「ユカリちゃんになんて言うたらええか分からんのやもん」
「きいてみやなわからんやん」
「そらそうなんやけど。そうなんやけど。……何自然に話入ってきとるん?」
ハッと気づいて横を見るとベッドに座ってこちらを見つめている司。
「おとうちゃんごはんやでって呼んでもこんのやもん」
「…そら、お父ちゃんが悪いな」
「ご飯たべよ。お腹すいたパパ」
「はいはい」
携帯をしまい司の頭を撫でてあげてから一緒にリビングへと向かう。
テーブルには美味しそうな夕飯。司は自分の席につき総吾も待っている。
百香里は台所から顔をだし笑顔で「お帰りなさい」と言ってくれた。
「パパ。僕日曜日隣町の大きな図書館行きたい。ほら。最近できたやつ。一緒にチラシ見たでしょ?」
「それならママが連れていってあげるから」
「駅から結構歩くから。バスも利用すると結構かかるよ。パパの車ならすぐだし。
置いて行ってくれたら2人でデートできるし。いいよね?」
「に、日曜日…か。土曜日はあかんか」
「土曜日は塾のイベントがあるって話しなかったっけ」
「そうか。…そう、か。わ、わかった。ほな日曜日皆ででかけよ」
「いいんですか?総司さん何か予定があるんじゃ」
「別にかまんから。気にせんでええよ」
総司の言葉に司は不思議そうな顔をするが特に口をはさむ事はなく。
百香里は嬉しそうにほほ笑み、総吾も珍しく機嫌がいい顔をした。
『どうしたこんな時間に。また宿題山積みなったか?』
「…あのね。…なんか。パパが悩んでるみたいだからね。どうしたらいいのかなって」
『はあ?そんなもんママに任せりゃ一発だろ』
何を知っているという訳ではないけれど、司はしっくりこなくて。
ご飯を食べて何時もならデザートに手を出すのにそれをしないで
自室に戻ると携帯を取り出し渉にかける。
「……違うの。パパ。ママに言えないって悩んでるの」
『ユカりんに言えない事。か。……』
渉は何かを察したかのように黙る。
「何でかなあ。言った方がいいと思うのにな。パパすっごく悩んでたのに」
『気にするな。ほっとけばいいんだ。大人なんだからどうにかするよ』
「…そっか。そうだよね。パパは大人だもんね。社長さんだもんね」
『そうそう。お前は楽しい事だけ考えてりゃいい。…気にするな。イイコだから』
「うん。わかった」
『明日、久しぶりに買い物でも行くか。学校終わるくらいに迎えに行くからさ』
「え!いいの?」
『いいから言ってんだろ。ユカりんに怒られない程度に買い物して飯も食うから。
ちゃんと先に言っとけよ』
「わかった!楽しみだなー!!」
『じゃあな。あんま夜更かしするなよ』
「うん。お休み」
『お休み』
渉の言うようにきっと大丈夫。司は携帯をしまいお風呂へ向かう。
彼女の頭の中はもう明日が楽しみということだけだ。
「……で。さ。…社長」
「ボーナスの話やったら俺やなくて真守やから。真守。な。俺ちゃうから俺関係ないし」
「最終的にハンコつくのあんただろ。じゃなくて。…何やらかした。どれくらいいるの?」
「…どれ…くらい?え?…いや、何も考えてへんけど」
「まさかこのまま続けようっての?嘘だろ。あいつでもそこはきっちり守ってたろ?!」
「…何の話してるんかようわからん」
翌日。まだ少し元気のないまま、それでも家族には笑顔を見せ出勤して
いつものように席に着いたらドアの向こうで秘書の制止を振り切って社長室に入ってくる渉。
顔が鬼のように怖かったからてっきりボーナスの金額に文句でもあるのかと思ったが。
そうではないようで。ただじっと睨まれ続けている状態。
「あんた他所に女作ったろ。いいよ、今ここですぐ手切るってならユカりんには言わないでやる」
「はあ!?」
「でもこのままズルズルってなら。悪いけど俺は言うからな。で。あんたはあの家出てけ!」
「…い、いや。待って?何で?何でそうなる?俺なんもしてへんし…女ってなに?」
「司が心配して電話かけてきたぞ。パパが悩んでる、ママに言えないみたいだって」
「……あぁ」
「ああじゃねえ」
「ちゃうんやって。浮気とかの話やなくて。これは」
「渉!いい加減にしないか!」
総司が説明をしようとしたら勢いよくドアを開けて入ってくる真守。
秘書たちが呼んできたのだろう。千陽なら気にしない事でも
この3兄弟の日常を知らない新人たちからしたら大騒動。
「悪いのはこいつだし」
「そんなに有給が欲しいなら日頃から真面目に働け。それとボーナスの査定もそこまで酷くは」
「だから。悪いのはこいつ!外に女作りやがって」
「ここは家じゃないんだ。会社でめったな事を口にするな。……兄さん、どういうことですか」
「ちゃうんやって。落ち着いて話たら分かるから。な。とりあえず座り」
カッカしている三男。なんとか冷静を装いつつも弟の言葉に動揺している次男。
困った顔をしてどうしたものか悩ましい顔をする長男。
とりあえず椅子に座り弟たちに事情を説明する。自分に何が起こったのか。
何故百香里に話ができなかったのか。すべてを。
「……」
「……」
「……」
話自体はものの5分も必要ないくらいのあっという間におわる。
そして沈黙に包まれる。
「……、…で。どう、すんの」
「丁度予定も出来たし、…行けへんって、言わんとあかんのやけど。な」
「まだメールは返せていない、ということですか」
「……」
総司は無言という肯定をかえす。
「貴方が思っている以上に家族はそれを察している。演じきる自信が無いのなら、
どちらも捨てられないのなら。どう思われようと、自分の意思に従う方がいいのでは」
「……真守」
「こういう話って好きじゃないから。俺行くわ」
「渉」
渉は何も言わずさっさと部屋を出ていった。
「ああ見えて頑固ですからね。本人は否定するだろうけど。そういう所が父親に似ている」
「せやね。…俺は何年たってもあかん。父親のように強くはなれへん。母親のような芯もない」
「それでも貴方はこの会社の頂点であり、子どもたちの父親であり、義姉さんの夫だ」
「……。…なあ、真守。頼まれてくれへんか」
「浮気の隠ぺい以外なら、いいですよ」
なんら笑ってない顔でそう返事をすると真守も静かに部屋を出ていった。
それから深い深いため息をした総司だが、
今までずっと触れなかった携帯を手にして。ギリギリでやっとメールの返信をした。
返事はすぐにきて、特に怒っている様子はなく淡々と場所と時間の案内が来た。
「私としてはさ。これがいいかなって思ってるんだ。どう?お母さんは派手って言うんだけど」
「ほんまにこんなに着替えるんか?さっきのドレスと白無垢でええやんか」
「一生に一度の晴れ舞台!……になるかは分からないけど。そう毎回は着ないじゃない。
だからお色直しはいっぱいしたいの。いいでしょ?」
「まあ。そらそうやけど」
「娘の結婚式だもの。援助してくれるよね?」
「そらするよ。するけども。あかん、お父ちゃん目チカチカしてきた。かなわん」
日曜日は家族と別行動。真守に車を出してもらい百香里と子どもたちは隣の町へ。
総司はただ1人指定された結婚式場へ向かった。待っていたのは唯だけ。
相手となる男にはまた今度見せると言って、今回は親のみ。母親は後から遅れ来る。
色とりどりの衣装は綺麗だとは思うけれどそう次々だされて疲れてくる。
「もー。ほんとお父さんおじいちゃんじゃないんだから」
「分かってるけど。休憩。な。休憩しよや」
「待って。これだけ試着させて。で。見て」
「…分かった」
「こちら宜しければお座りください」
店の人に椅子を借りて休憩する総司。唯は付き添いの人に手伝ってもらいながら
ドレスを着てティアラもつけて。まるでこれから式場へ行くかのようだ。
行き成り娘を失う実感なんてしたくないと思いながらでも、
あんな小さかった子が嫁に行くのかとしんみりしている自分。離婚後娘と過ごした時間は
途切れることはなかったがそれほど多くは無い。親子の思い出も少ない。寂しかったはず。
「あかん。…しんみりしてきた」
今の自分が娘に出来る事はなんだろう。何でもしてやりたい。
なんて感傷に浸っていたら目頭が熱くなってきた。
「まだ式じゃないのにもう涙ぐんでるの?」
「娘の花嫁衣裳見て泣かへん親はおらんやろ」
「……親。か」
不意にカーテンが開いて唯が顔を見せるから慌てて目を反らす。
でもバレバレで彼女は笑っている。真っ白なお姫様のようなウェディングドレス。
「俺には親と名乗る資格はないかもしれへんけど。な」
「私が結婚したらね、お母さん1人になるでしょう?だから私に負けずにすぐに良い人見つけて
結婚するからって笑ってた。私が言うのもなんだけどお母さんは美人だから。
相手なんてすぐ見つけるよ。その方がいいとも思ってるんだ。やっぱり心配だしさ」
「…そう、か」
「でもね。私の父親はお父さんだけだよ。これからもずっと。何があっても。
あ、別に戻ってきてほしい訳じゃないんだ。昔は…戻ってきてほしかった。凄く。好きで結婚して、
愛し合って私が生まれたんだから。また一緒に暮らせばきっと…もとに戻るって」
「……」
まっすぐに見つめられると疚しい事はないはずなのに見つめ返す事ができなくて。
総司は視線を反らす。その先にはおそらくはモデルさんであろう新郎新婦の写真。
あとちらほらと他の結婚予定の幸せそうなカップルたちの姿と声。
「本当は分かってた。お父さんを裏切ったのは…お母さん。悪いのは、お母さんだって」
「それはお父ちゃんが」
「今ね。手紙を書こうと思って一生懸命昔の事思い出そうとしてるんだ。忘れたいことの方が多いけど。
楽しい思い出は何時もお父さんと一緒だった。3人で笑ってた思い出ばっかり思い出しちゃって。
それで。思ったんだ。あの時馬鹿な意地をはらないでお父さんと一緒だったらって」
「……」
「そしたらお父さんに近づく女の人なんか全部ブロックしてやったのに。悔しいな」
「…お前はお母さんと一緒でよかった。お父ちゃんは甲斐性ないで同じこと繰り返すだけや。
こんな風に落ち着いて自分の事話せるようになったんも、百香里…、今の嫁さんのおかげや」
「……ねえ、お父さん」
「何や」
「…これからも、…ずっと。ずっと。……娘で居ていい?」
唯はそうそう涙を見せる子ではない。少なくとも総司はそう思っていた。
けど今目の前にいる娘は涙をためてこちらを見つめている。だから。
「…当たり前やろ」
昔のように優しく頭を撫でてハンカチで拭いてやった。
「…ありがとう。こんな娘だけど。……ずっと見守ってくれて、感謝してます」
「まだそういう泣かすセリフは早いて。な。もうやめや…弱いんやから」
「だって。来てくれない…って、思ってるから」
「……」
「今日来てくれただけでも嬉しいよ。ありがとう。後でお母さんと3人で写真撮ろうね」
無理をしているであろうにそれでもニコっと微笑む唯に総司はただうなづくしかできなかった。
それからすぐ母親も到着し女同士のドレス選びの方がいいだろうと総司は施設内にあるカフェへ。
気持ちを落ち着かせるようにコーヒーを飲んで。ぼんやりとその辺を眺めている。
「疲れたでしょう」
「ああ、もう終わったんか」
そう言って椅子に座る前妻。彼女もコーヒーを注文する。
「ええ。やっと。けど、…あの子ったら最初から貴方の援助を頼りにして。
私だってあの子の為に貯金してるのに。何も言わないんだから」
「それはとっとき。結婚してからも何かと必要になるもんや」
「…あっという間でしたね」
「お前からしたら苦労のが多かったんとちゃうか」
「あら失礼な。女だからって馬鹿にしないでください。あの子と生きてきた人生で辛かったなんて」
「なんて?」
「……こっそり、唯が寂しくて泣いてるのを見た時くらいです」
「……」
「自業自得だから。私がどうなっても構わない。けど、……あの子は違うのに」
いっそ父親のもとへ送り出そうとも思ったけれど。
娘は自分の生きがいであり支えで。なくすことは目標を失う事で。
それが怖くて何も出来なかった。そんな私は母親失格だ。
「どうしても湿った話になるな。お互いほんま老けたな。おじんとおばんや」
「…あなたにはデリカシーが無いの?いくら元嫁でも女性に対しておばんってなに」
「あ。かんにん。オバサマか」
「怒りますよ」
「ああ、怖い怖い。やけど怒ると目じりのしわが伸びてえんちゃう?」
「あなた!……、…じゃない。総司さん」
「唯には…あの兄ちゃん頼りないけども、同じように年取って同じようにしわつくって笑ってって欲しいな」
「…ええ」
「金の事は何も心配いらん。必要なものはなんでも買うたってほしい」
「…でも、そんな事してもいいの?今日だって。貴方の家族が」
「そこはそこ。これはこれ」
「じゃあもう1着ドレスえらぼーーーっと!」
「あ!唯!これ!もうドレスはええやろ!それよりも飯とかそういう……行ってしもた」
「忙しない子」
「誰に似たんやろか」
「貴方です」
「お前やろ」
「お父さん!お母さん!これみて!これがいい!これ超いかす!」
「……」
「…行きましょうか」
かなり遅くなったけれど昼飯を予約していたレストランで3人で食べて。
総司だけ車に乗って家に帰る。2人はお買い物をするため街へ。
あれだけ振り回されてまだ買い物ができる体力には恐れ入る。
「お帰りなさい」
「ただいま。…子どもらは?」
家に帰ると出迎えてくれたのは百香里だけ。
何時も走り回っている司がいない。あと一応挨拶だけはしてくれる総吾も。
「真守さんのお家にお泊りです」
「そうか」
「…総ちゃん、しばらく家には帰りたくないって」
「そう、か」
「そんなワガママ言う子じゃないんですけど。明日連れ戻してきますから」
「ええねん。俺が悪い。好きにさしたろ。司は?司も怒って?」
「いいえ。あの子は何も。ただ、総ちゃんが心配だからって」
「…そうか」
唯とも仲良くして総司が会う事にも反対しない司にしたいし明らかに嫌悪感を見せる総吾。
母親を、百香里を大事にしていないと見えるのだろう。何とか話をしたいと思うのに。
真守の家ならば大人しくしているだろう。もとより下手な事はしない頭のいい子だ。
「ドレスどうでした」
「男には分からん世界やった」
「司が写真見たいって言ってましたよ」
「そうか」
総司は椅子に座り百香里がいれてくれたお茶を飲む。そしてちらりと彼女を見た。
特に変わった様子はない。今日一緒に行けない理由は朝きちんと説明をしたし
真守もフォローをしてくれたはず。
ただ、彼女も司ほど積極的ではないから。言葉にはしないけれど。
「あれ。何だか総司さん急に老けたみたい」
「え!?や、やめて!そんな事ないって!…わ、わかったエステ!整形!」
「無理をして若く見せなくてもいいんですよ。私と居るとそうはいかないのかもしれないけど。
唯一悔しいって思うのは、あの人たちと一緒だと…貴方が何の気兼ねもなく自然でいられる事かな」
「ユカリちゃん」
「……なんて。言っても仕方ないですけどね」
百香里は優しくほほ笑み総司の手を握る。
「…堪忍」
「だ。か。ら。…総司さんにはやることがあるでしょ?」
「え?や、やること?何?」
何だろう。この嫌な予感。総司は怯えたような視線を送るが。
「……さんにんめ」
百香里は耳元で囁く。
「あっ…それ…は…でもほら今からやとその子が成人する前に俺死んで」
「死なないように頑張りましょうね」
「待って。ほら。な?もし坊主やったら坊とかぶるしあらぬ後継者争いが」
「松前家の後継者は総吾です。何も、争いなんて起こりません」
「はい」
「私と一緒に居れば大丈夫。若くいられます。ですよね?」
「…はい」
おわり