合間の話


何時も冷静で頭が良いいがそっけなくて冷たい完璧主義者。
家庭的なイメージ皆無。いつもデスクに座って書類を睨んでいる。
少し前までの専務のイメージ。
それは秘書課だけでなく他の社員も似たようなものだろう。

「専務に挨拶したのに目も合わせてくれなかった…」
「秘書課のお色気担当も流石に専務には通じないか」
「先輩それどういう意味ですか?酷いなあもう」
「自覚してるくせに」

容姿は悪くない。長身でビシっと決まったスーツ姿に憧れる女子社員の話はちらほらと聞く。
けれどいつも表情が厳しくて言葉も丁寧ではあるが何処か冷たくて。
専務というか松前家次男の威圧感のようなものがあってまだ行動に移したものはいない。
もしかしたら社外に恋人がいるのかもしれないけれど。そんな空気すらしない。

「泣きますよ。いじめだーって」
「はいはい。ごめんごめん」
「何話してるの貴方たち。まだお昼休みじゃないけど?」
「あ。御堂主任酷いんです先輩が」
「貴方たちと話してると長くなるからまた今度ね」

胸元の開き具合とちょっとスカートの短い新人とその先輩。
主任として口でなく体を動かせと後輩たちを指導する千陽。
秘書課は社長や専務そのほか重役たちとの連携が重要になるから
どうしても接点が多い。そこに独身が混じっていると特に話題になる。
寿で辞めた先代の主任に託された秘書課。気を引き締めなければ。

「御堂さん、今いいですか」
「は、はいっ」
「どうかしましたか。そんなに驚いて」
「いえ。なんでも。あの。…なんでしょうか。会議の資料でしたら既に」
「会社の話ではないので。僕の部屋に来ていただけますか」
「は、はいっ」

そう思った矢先、件の専務が後ろに居て飛び上るほど驚いた。
慌てて笑顔を取り繕い何もなかったように彼と専務室へ向かう。
彼に言われるままに応接ソファにすわりテーブルに置かれている雑誌を見る。

「この商品を自社で取り扱おうと思っているのですが。どちらと提携するかで悩んでいて」
「え?…っと。やはりこういうのは私などではなくて社長や」
「これは僕が独断でしている事なので相談は出来るだけしたくありません」
「ええ!?せ、専務!?ど、独断!?」

いくら専務でもそれって不味いのでは。千陽はさすがに動揺する。

「はい。ああ、すみません。独断といっても大まかに兄さんに話は通していますから。
どの会社と提携するか等は僕が決めていいことになっています」
「なるほど。そういう事ですね。……でも、どうして私?」

他の人には相談できなくても私には出来るということはもしかしてそういう。

「貴方は友人が多そうだから。それに秘書課の主任として様々な情報を得ているかと」
「はあ」
「赤ん坊の肌はとても軟でへたなオムツを選ぶとすぐにかぶれてしまう。可哀想に。
この前司のお尻がちょっと赤くなってしまって。渉が怒ってメーカーに電話していましたよ。
義姉さんが必死に謝ってちょっと高いものに変えたようですが。それでも心配だ」
「……」
「文面上ではどこも良いことしかかいていない。当然だ。
しかし合う合わないがあるからやはりサンプルをもらって司に付けてみよう。
それで快適に過ごせるほうの会社と提携して安く安定した供給を」
「専務。あの。専務?」
「はい。あ。僕が勝手に話を進めては意味がありませんね。すみません。意見を聞かせてください」
「これは司ちゃんのオムツのお話…で、よろしいですか?」
「そうですよ?他に何かありますか?」
「…いえ」

きょとんとした顔をする専務は珍しい。
それくらい熱中して考えているのだろう。姪のオムツを。
それはいいけど。問題無いけど。けど、なんかちょっとがっくり。

「渉は高価で品質の最高な物にしろと言うんですが義姉さんはこだわる人ではないし。
兄さんは義姉さんのイエスマンなのであてにはならないしで。困っていたんです」
「専務のお考えは」
「オムツというのはそう何年も使うものではないのですからね。司のお尻は心配ですが。
自分で選んだ品質の良いものを安く手に入れればいいかと。本格的な参入ではありませんが
ベビー用品の事業もうちはやっていますし。ただ売るだけではなく商品の細かな情報や
その背景が求められる今子育ての経験則から選ばれるオムツは売れる。
そう思えばマイナスにはならないでしょう」
「…なるほど。さすが専務ですね」
「しかしその1社が僕には絞れない。ここに来て詰まってしまいました。だから貴方の助言が欲しくて」
「で、でも専務はもうご自分で答えを出されているのでは?私なんかとても」

確かに友人は結婚して子どもがいるのがほとんど。でもその話題はあまりしない。
したところで盛り上がらないし微妙な空気になるだけだから。未婚なのは知っているはず。
それともこの人は子育ての経験があるとでも思っているのだろうか。千陽は考える。

「恥ずかしい話ですが、僕は御堂さんに背中を押してもらいたいんです」
「え」
「自分で考えて始めてみたものの、これでいいのか内心自信がなくて。
やはり自由に考える器量なんて僕にはないのだと痛感しました」

自由な発想。自分の意思でのビジネス開拓。
どれも憧れてやってみたのに結局は不安ばかりが募る。
こんな自分では兄を叱れないと専務は自嘲した。

「そんなことありません。専務は何も間違っていません。司ちゃんの事だけでなく
百香里さんや渉さんの事も考えて。最後は会社の利益になる。すごいことだと思います。私は」
「ありがとう御堂さん。貴方に相談してよかった。貴方に話すと前に進める気がします」
「そ、そんな。…私は何も」
「ということで。さっそくサンプルを送ってもらうように連絡をします」
「このリストの会社にかけるのですよね。ではこちらは私が担当させていただきます」
「しかし」
「相談を受けたからには最後までご一緒させて頂きます。秘書ですから」
「…ありがとう。では、お願いします」

リストを受け取り千陽は専務室を出る。
最近の、というか社長が再婚してからの彼はまるで別人のように変わった。
仕事に厳しいのは変わりない。けれど家族の事を考えたり心配していたり
姪の話をするとたまに嬉しそうに笑ったりする。人間味というのだろうか。
まだその変化に気づいている人間は少ないけれど。千陽は強くそれを感じる。

「なんか今日の専務も機嫌悪いですよねぇ」
「そうそう。眉間にしわよせちゃって。また社長がサボったのかも」
「でも私は社長の方が好きだな。気さくだし優しいし話面白いし」
「なに?貴方いつの間に社長とそんな仲良く…まさか愛人狙い?」
「それもいいかも。社長歳の割にいい体だし。顔も結構好みで」
「貴方たち。ここが何処か言ってみなさい」
「あ」
「主任!あの!えっと…お茶をもっていきまーす」
「私も!」

逃げていく後輩。もっとしっかりしないとダメだ。
専務との会話でいい気分だった自分を引き締める。

「御堂主任そのリストは?」
「ああ、いいの。これは私の仕事だから」

でもついリストを見てニヤリとしてしまうのだった。


「ただいま司。いい子にしていたか?そうかそうか。お前はいつもいい子だからな」
「お帰りなさい真守さん」
「ただいま戻りました。義姉さん、渉はどうしていますか」

何時も遅くまで残っていた専務だが最近は少し早目になった。
今日も両手に荷物をもってマンションへ戻りまずは手を洗ってから司を抱っこする。
音でわかるのか司はいつも元気よく笑って真守を出迎えペちぺちと顔をたたく。

「部屋です。私が高いオムツを嫌がったからですよね。ごめんなさい。反省してます」
「貴方が謝ることなんて何もない。あいつが子どもみたいな我儘なんですよ」
「うるさい」
「渉さん」
「渉。いい加減にしろ。義姉さんを困らせるな。オムツなら僕が良品質のものを確保する」
「あっそ。ならいいんじゃねえの。……ユカりん」
「は、はい。あの、ごめんなさい」
「違う。謝るのは俺。ごめん。ついカっとなった。母親はあんただし。
別にあんたが悪いわけじゃないってわかってたんだけど。なんか、…うん」
「じゃあ、許してくれます?」
「だからさ。許すも何も。……なあ、司抱っこしていい?」
「はい」

最初は恥ずかしそうに視線をそらしていたけれど、真守から司を託されると嬉しそうな渉。

「明日サンプルがここに届くので様子を教えてください。一番負担がないものを選びます」
「な、なんだかすごいお話になってますよね。いいんでしょうか…」
「いいんですよ。司にはストレスなく快適に成長してもらいたいので」
「…は、はあ」

爽やかな笑顔で言われて「ご飯と布団があれば子どもは育つんですけどね!」とか言えなかった。
やはりお金持ちの家の人は違う。百香里は格差を実感したという。

「なあ。この粉なんなの?」
「ベビーパウダーですよ。お尻に塗ります。この前赤くなっちゃったので」
「それ肌にいいものなの?マジでいいの?かぶれたりしねえ?何か変な匂いするけど」

夕食後。オムツを代えるついでにお尻にポンポンと白い粉をつける百香里。
それを珍しそうに横に来て眺めている渉。どうも疑っている顔だ。
オムツで赤くなってから過敏になっているのかもしれない。

「大丈夫ですよ。きっと渉さんも赤ちゃんの頃はこれしてましたよ。お母さんがこうやって」
「してないよこんな変なの」
「してましたって。覚えてないだけで」
「してないって。なあしてないよな」

話は飛び火して傍でコーヒーを飲んでいた真守へ。

「残念ながらしてたよ。お前はよく汗疹が出来てたからな。母さんにやってもらってた」
「嘘だ」
「幾つ歳の差があると思ってるんだ。ちゃんと見てたよ。ああ、兄さんが代わりにやってたこともあったな」
「あいつに!?げえええ」
「総司さんが?ふふ」
「そこ別に笑うところ?……はあ、嫌な気分」
「渉さんもしてみます?けっこう楽しいですよ」
「えっ!?そう?……じゃあ、お願いしようかな」
「待て渉。義姉さんに尻を向けるなよ。そういう意味ではないからな」

おもむろに立ち上がった渉に真守の冷静な一言。百香里はよくわからずぽかんとした顔。

「わ…、わかってるよ」

といいつつ若干顔が赤い気がするのは真守の気のせいだろうか。
彼は百香里に指導されながら司の体にベビーパウダーをぬった。
少しは理解をしてくれたようだが匂いを嗅いでくしゃみをしていた。

「お前のくしゃみで司が起きたぞ」
「うるさい。やっぱりあれは体に悪いんだ」
「お。懐かしいもん使ってるやん。俺も昔はこれを」
「うるせえ!」
「な、なんや渉。行き成り大きい声だして」
「うるせえんだよ!馬鹿!アホ!」
「な、なんで行き成り罵倒されなあかんの俺」

ただ娘に挨拶しようとしただけなのに。
何故か物凄く怒っている末弟。

「気にしないでください」
「死ね言われたで」
「何時もの事です」
「そうか。……いや。まって?俺いっつもあいつに死ね言われてるん?」
「渉。司を強引に抱っこするな。寝かせてやらないとダメだ」
「なあ。待ってよ。え。…え?え?」
「気にしたら負けって言うじゃないですか。ね?総司さん」
「そ、そうか。そうやよね。気にしたら負け……泣いてもええ?」

おわり


2013/09/21