合間の話


「なーに?会議中でもないのにそんな真面目な顔して」
「何か悩み事?」
「ていうかその読んでる本なに?なに?」

昼休み。広い社食の隅っこに陣取って気配を消していたのに
あっさり同じ課の女やその連れのよその課の女たちに囲まれた渉。
何時もなら冗談でも言って適当に受け流すのだが今回は無口。

「別に」
「あれ。ご機嫌ななめ?」
「もしかして彼女と喧嘩したとか?」

女の中身のない長話は聞き流すのが一番だが3人そろえば姦しい。
ステレオ所ではない。今は特に静かにしていてほしいのに。
イライラ。イライラ。

「休み時間も人気とはイケメンは違いますなぁ」
「そうね。貴方と話してるよりは時間が有意義かもね」
「そういうなって。俺も混ぜてくれよーなあ松前君」

そこへ苦手な暑苦しい体育会系の先輩社員が割り込んでくる。
渉は更にイライラ。

「じゃあ先輩ここどうぞ。俺もういいんで。それじゃお先に」
「おいまだ全然食べてねえじゃねえか。もらっちまうぞー」
「あん。渉くーん」

本だけもって席を離れる。これ以上ここに居たらイライラがバクハツする。
会社では出来るだけ大人しくしている。
どんな事をしたって松前家の三男である自分は何かと話題にされるから。
成績を残せばさすが三男。悪い噂がたてばやはり世間知らずのボンボン。
兄たちは役職についているからそれが当然のように思っているのかもしれないが。

「アホばっかりかよ。糞ムカつく」

悪態をつきながら喫煙ルームに入りタバコをふかす。役職なんて面倒。
そんなものにならなくても住む場所も遊ぶ金も困らない。
それに今は家事が得意でおせっかいの義姉もいるから何も不自由してない。
心も体も満ち足りているというのはきっとこんな気持ち。
でもそれを素直に認めるは嫌だから誰にも言わないけれど。

『今お昼休み中ですよね?いいですか?』
「いいよ。なに。また何か買ってくるの?にしては早いか」

ペラペラと本を眺めていたら携帯が震えポケットから出すと百香里の文字。

『今実家に居るんですけど。母がその。ぎっくり腰やっちゃって』
「はあ。大変なこって」
『その、いろいろと世話をしたいので今日は遅くなります。から司をお願いしたいんです』
「でも俺あの人等と違って子どもとかそんな慣れてねえし…」
『それは…そう、なんですけど。ちょっとだけ様子を見てくだされば。あとは総司さんがわかりますから』
「……」
『えっと。あの。もしかしてデートでした?ならいいんです、すいません』
「仕事ちょっと早めに上がらしてもらうから。あんたの所行って司引き取る」
『予定はよかったですか?』
「ああ。いいよ。…あんたも母親心配だろ。あいつ居ると難しいし。なんとかするから」
『ありがとうございます』

渉は軽いため息をしてタバコを仕舞い喫煙ルームから出る。本も忘れずにもって。
事情を専務に話しておいて少し早目の帰宅を許可される。社長には専務を通じて知らされる予定。
どうせ自分が帰るとか言うだろうから少し時間を空けて。受け取るのは話し始めたくらいの赤ん坊だから。



「おいよだれでてんじゃねえか。腹減ったのか?それともどっか悪いのか?」

百香里の実家の傍までくると彼女は娘を抱いて待っていた。
申し訳ありませんと言って小さい子を渉に託す。
赤ん坊仕様のチャイルドシートは三兄弟全員の車に装備済み。
気遣いながら司を家まで連れてきてすぐにベビーベッドに寝かせた。

「柔らかそうなほっぺしやがって。目もクリっとして可愛いし。……って、見てる場合じゃねえ」

どうするか簡単に次兄から聞いている。急いでミルクやらオシメやらの準備。
見ていた事はあるけれど自分自身で直接するのはまだ少ない。
渉だけでは心配だからと次兄もいつもより早く帰る。その代り社長は遅い。
なんでやねん!と社長室で叫んだらしいが専務は華麗にスルーして今に至る。

「泣くのか?泣くなよ?我慢しろ。…あ。いや。我慢するのはよくないな。よし泣け。泣け」

経験者が見れば笑われそうなくらい手探りで必死に1人で赤ん坊をあやす。

「……よし。寝たな。いい子だ」

やっと寝てくれた司に安堵してその場にしゃがみ込む。
周りは彼女の為に買った玩具だらけ。散らばるオムツ。飲みかけのミルク。
自分はまだスーツ姿。でも司を抱っこした時ついた彼女の涙や鼻水でぐっしょり。
こぼしたミルクも拭かないと匂いがする。
こんなところを誰かに見られたら恥ずかしすぎて死ねるレベルだと自嘲した。

「やっぱ文字読むくらいじゃダメだな。実践しねえと対応できねえ」

ひとまず自分の部屋に戻り着替える。

「ぅぶううううぅ」
「ぶぅうじゃねえ。ほれ言ってみろ。クマだ。くーまー」
「…ぅぶううう…ぅうう」

ごみを片づけやっとソファに座り落ち着いた所でまた司が目を覚ました。
小さい手にぺちぺち叩かれながらも抱っこして渉は話しかける。
最近やっとごくたまにママと言うようになった。はっきり言う訳ではなくて
なんとなくそう聞こえるというレベルではあるけれど。

「くーまー」
「ぶうう」
「ぶううじゃ…もういいや」
「ぶぅううう」
「ぶぅうううう」

おでこを合わせ司のマネをすると彼女はそれが面白かったのか笑う。
それが嬉しくてつい何度もマネをしては笑わせてやった。
司の反応が楽しくてもっと教えてやろうと彼女のぬいぐるみを持ってくる。

「ぶぅうう〜うぅうう〜」
「司。これはウシだ。ウシ」
「ぷぅ」
「ぷぅってお前。…まあ、いいやぷぅで。これはぷぅな。じゃあこっち。ネコだ。ネコ」
「なーなー」
「惜しい!いや惜しくねえ!じゃあこれはなーなーだ。さいご。これはイヌだ。イヌ」
「おんおん」
「これも惜しい。じゃあこれはおんおんな。おんおんなーなーぷぅとぶぅぶぅ」
「ゆー」
「ゆー?なんだよゆーて。……あ。俺?俺か?」

渉だからゆー?視線を向けると司は嬉しそうにニコニコしていた。

「ゆー。ゆー」
「そっか。ゆーか。よし。俺はゆーな。ぶうう。にぷぅになーなーにおんおんにゆーだ」
「ゆー」
「そうかそうか。上手にできたな。えらいぞ。お前は天才だ。
可愛いだけじゃなくて才能がある。もっといっぱい教えてやるからな」

自分が笑っている自覚はないのだがいつの間にか帰ってきていた次兄いわく
今まで見たことないくらい破顔させて笑っていたらしい。
一瞬別人かとおもうくらい。

「ゆー…」
「眠いなら我慢しねえで寝ろ。見ててやるから」
「……」
「そうだ。寝ろ寝ろ。今日はいっぱい勉強したからな。頑張ったぞ司」

ベッドに寝かせるとすぐにうとうとしだして眠ってしまう。
彼女の手にはお気に入りのなーなーのぬいぐるみが居た。

「お前は慣れてないから司のお守は大変だったろう」

やっと一息つけると椅子に座ったら珍しく次兄がビールをくれた。

「馬鹿にすんじゃねえよ。こんなもんいっつも見てるし普通に出来る」
「そうか。まあ、実際出来ていたからな。素直に凄いと思うよ」
「うるさい」

あの惨状の事は言わないでおこう。渉は静かにビールを飲む。

「兄さんも心配していたんだ。お前を信頼してない訳じゃないんだが、
子どもの事は殆ど義姉さんたちがしていたからな。正直電話がくると思ってた」
「俺だってあいつの面倒くらい見れる」
「そうだな」
「……勉強もしてるし」
「ん?」
「何か食うもんくれよ。腹減ったんですけど」
「僕の作ったものでいいなら用意しよう。義姉さんはまだ少しかかるようだからな」
「あ。司が泣いてる。腹へったのかな。オムツかな」
「僕が」
「あんたは何か作ってろ。俺が行く」
「あ、ああ。そうか。じゃあ頼む…」
「なんだよ」
「いや。やけに積極的だなと思って」
「別に。実践が大事だって思っただけ」
「…なるほど。じゃあ、任せた」

何処か嬉しそうに司の元へ向かう弟の後ろ姿を見て少し笑う。
昔はあんなんじゃなかった。最近少し軟化してきた。そして今。
まだまだ幼い姪っ子にあんなにも一生懸命で楽しそうに育児中。
そんな彼を誰が予想できたろうか。


「どうしたんですか真守さん。ご機嫌ですね」
「ああ、お帰りなさい義姉さん。お母さんの具合はどうですか」
「はい。なんとか落ち着いてくれました。私が居ないとすぐ動こうとして。絶対安静なのに」
「大変でしたね。兄さんはもう少しかかります、僕の料理で申し訳ないが夕飯を食べませんか」
「ありがとうございます。でもその前に司にご飯を」
「それなら渉が済ませましたよ。あいつ張り切ってるんですよ。司を任せてもらって」
「そう、なんですか?凄い迷惑をかけてしまったと思って…」

彼女なりにお詫びのつもりで自分の好きな店のたい焼きを買ってきた。
でも思っていた以上に渉は司を大事にしてくれているみたいだ。
何処か誇らしげに弟が初めてなのに司の世話をちゃんとできたと真守から聞いた。

「あれでも育児に参加したくてうずうずしてたみたいですね。素直に言えばいいのに」
「じゃあもう少し渉さんに甘えちゃおうかな」
「そうしてやってください」
「配膳お手伝いします。お腹空いちゃって…いい匂い」
「すみません。お願いします」

おわり


2013/09/17