松前さんの祝日


祝日の朝。

「機嫌直せよ」
「ぷー」
「さっきからぷーしか言わねえな」
「ぷー」
「次ぷーって言ったらくすぐってやる」
「ぷ……、…ユズのいじわる!」
「はは。やっと喋った」

今まで見たことないくらい思いっきりほっぺを膨らませ話しかけても無視する。
完全に拗ねきった司。その隣に座って頭を撫でる渉だがそれでも彼女は不満顔。
もちろんそうなるにはちゃんとした理由があって、こんなに怒らせた原因はアイツ。

「……パパは司がきらいなんだ」
「許してやれとは言わねえけど何時までもそんなツラしてたら破裂すんぞ」

またプクっと膨らんだ彼女のほっぺを優しく突いてみる。子どものほっぺは思いのほか柔らかい。
司がまだ泣く事しかできない赤ん坊だった頃を思い出した。あの頃は手も足も柔らかかった。
下手に触ったら折れてしまうんじゃないかと毎回不安になりながら面倒をみたものだ。

「……」
「遊園地でも水族館でも何処でも連れってやるから」
「やだ…パパとママと行く」
「司」
「だって皆パパとママといったっていってたもん。司だけパパ居ないのやだ!」
「司。ワガママ言わないの。渉さんを困らせないで。ママと行こうね」

リビングに入ってきた百香里は布団を持っていた。出かける前に干していくらしい。
いったんそれを机に置いてまだ納得していない様子の司の下へ。

「だって。…だって。…ずっと前から言ってたのに…」
「パパも忙しいの。それにこのお詫びは必ずするって約束してくれたでしょう?
お休みはまた必ず来るんだから。今日はママと2人で我慢して。ね?帰りにケーキ食べよう」
「……わかった」
「ありがとう。それじゃママこれ干してくるから。終わったら行けるから用意しておいてね」

顔はまだまだ不満がいっぱい。でも何時までも駄々をこねても仕方ないと思ったのか
無言で頷いて自分の部屋に戻る。余所行きの格好に着替えてお気に入りのポシェットをして。
昨日の夜にワクワクしながら選んだ服も今は興味を無くしているけれど着て。リビングに戻る。

「このキャラクターってお前が毎日見てるアニメの主役だろ」
「うん」
「ショーの後は握手もできるのか。すごいな」
「うん」

渉の手には今日司が行く予定のキャラクターショーのチラシ。
普段そこまでイベントに行きたがる事はないのだが
これは彼女が好きなキャラクターだから行きたくて仕方ないらしい。
幼稚園の友達は皆行ったようだし。それもパパママ揃って。

「今日までなんだな」
「…うん」
「そんな顔するなって。俺も一緒に行くからさ」

暫くして百香里の準備が整い3人で出発。総司と真守は揃って祝日だというのに会社に行った。
何でも緊急を要する問題が発生したとかで。朝早くに出て行った。
だから司との約束はまた今度にされてしまった。ショーはもう今日で終わりだというのに。
気乗りしない司を車に乗せて渉の運転で会場へ向かう。その間百香里は娘に話しかけるけれど。
やはり彼女の返事は元気の無いもので。

「ごめんなさい渉さん、せっかく連れてきてもらったのに」
「悪いのはあのオッサンだから。気にすんな」
「友達に言っちゃったから余計に嫌なんでしょうね。パパとママと行くって」

駐車場に車をとめて会場までの僅かな道のりを歩く。ママと手を繋いで歩く司は俯き加減。
せっかく会場についたというのに何も言わない。そのうちトイレに行きたいと言って1人で入る。
それを待つ間にこの居た堪れない空気を渉に謝る百香里。

「…俺じゃ父親の代わりにはなんねーかな」
「……」
「何だよその意外って顔」
「だって。渉さんがそんな事言うなんて」

父親なんか全然興味なさそうなのに。というか家族にも無さそうなのに。
素直に驚いた顔をする百香里に不満げな顔をする渉。

「ひっでーな。俺だってそれなりに考えたりするっての」
「そうですよね。ごめんなさい」
「いいよ。ユカりんだから特別許す」
「ありがとうございます」

百香里が笑うと渉も釣られるように少し口角を上げた。
司が落ち込んでいて大人も笑う事なんか出来なかったから。
こちらまで同じように無言になってしまったらあの子が可哀想。

「ママ?」

そこへトイレから戻ってくる司。

「よし。司。お前はもっと特別だ。肩車してやる」
「え。い、いいよ。みんなしてないよ」
「いいから。お前は特別だからな」
「ママ」
「ちゃんと渉さんにつかまって。落ちないようにね」

よくわからないうちに渉に抱っこされてそのまま肩車。司の見える世界は一気に高くなった。
パパもよく肩車してくれる。パパの方がもっと高い世界が見えた。でも何か嬉しい。楽しい。
ママは嬉しそうに此方を見て笑っている。司も少しずつ笑うようになった。

「ママ!ママ!見て!ネズミイワシ!」
「え?ね、ねず…イワ…シ?」
「ああ。ほんとだ。あいつキグルミでもぶっさいくだな」
「可愛いよ。司1番すき!」
「お前の1番はネコクジラじゃなかったのか」
「それは2ばん」
「ぜ…全然分からない」
「ママおっくれてるー」

グッズや体験コーナーを見てまわっていると時間が丁度よかったようでイベントのショーが始まって
肩車してもらっている司は椅子に座らなくてもショーがよく見えた。嬉しそうに笑っている司。
渉も一緒にアニメを観ているから知識はあるようで一緒にキャラについて語り合っていた。
逆に百香里は何も知らないから2人の会話にまったくついていけない。きっと総司が居ても同じだ。

「ビールって言いたいとこだけどお茶でいいや」
「はい。司はジュースでいい?」
「うん!」

すっかりご機嫌になった司を連れて休憩ブースへ。飲み物や食べ物が売られている。
司と渉は椅子に座ってママを待つ。旗から見れば家族で来たように見えなくもない。
年齢的に百香里と渉と司の組み合わせはその想像がしやすい。

「パパと挑戦紙飛行機…ママと一緒に塗り絵体験。さすが家族向けのイベント色んなもんあるな」
「……うん」

つい視界に入ったから言ってしまった。やばい。せっかく司に父親不在を忘れさせていたのに。
司は途端に俯いて黙ってしまった。

「…後で紙飛行機挑戦するか。作ったら持って帰れるみたいだし」
「でもパパじゃない…」
「いいんだよ。俺は代理だ代理。パパ代理。それで十分なんだよ」
「そっか。なら作る!おっきいの作る!」
「はは。でけえのはかさ張るだろ。まぁ俺が持ってやるよ。だから好きなだけ作れ」

空元気なのかもしれないがそれでも司は笑ってくれた。だから少しだけ救われた気がした。
でも彼女が寂しいのは分かっている。どうにかして話を家族から離そうと考えていると。

「……ママと…ユズが居るから…楽しいよ」

ボソっと小さい声で司が言った。渉は言葉にはしなかったがそれがとても嬉しくて。

「帰りに1番でけえヌイグルミ買ってやるからな」
「でもママ」
「今日は特別だ。ママも許してくれる」

笑って見せると司も笑い返した。

「ありがとうユズ。そうだ。梨香ちゃんにも買ってこ!よろこぶよ!」
「あー…あいつはいいんだ」
「そうかなぁ。梨香ちゃんってミジンコナマズに似てるからよろこぶと思うんだけどな」
「お前ミジンコナマズって……、…あぁ……似てるな」
「でしょ!」
「買ってってやるか」
「うん!」

司は純粋に笑っていたが渉はどこか意地悪な笑みを浮かべた。
そこへ飲み物を持って百香里が戻ってくる。
手を振る司と妙に怖い笑みを浮かべた渉が出迎えてくれた。

「司。パパから電話。出る?」

休憩していると百香里がカバンから携帯を取り出し出る。相手は総司。
ママから携帯を受け取って司は耳に当て。
寂しかったとか何で来てくれなかったのとかそんな言葉を想像した。

「司をなめとったらほんま怒るでお父ちゃん!」

行き成りの言葉に百香里だけでなく渉までもその場で固まった。

「な、なんだよ今の」
「司…?」

そんな言葉遣い何時の間に。即席の真似にしてはイントネーションが自然。
困惑する2人を他所に司はまだ続ける。きっと電話口の総司も驚いているだろう。

「今日のオトシマエはゆうえんちとすいぞくかんとそんでもってええとこにおとまりやで!
ほなお母ちゃんにかわるわ。ええな忘れんといてや!」

呆然としているママに携帯を渡す司は心からすっきりした顔。

「あ、あの。総司さん…大丈夫ですか?生きてますか?」
『こ、…怖かった…めっさ怖かった…ユカリちゃん…今の司か?ほんまに司なんか?』
「そ、そうです。司です。私たちの娘です」
『俺らの娘はオトシマエとか言わへんはずやけど…な、なにがあったんや司』
「とにかく。今日は早く帰ってくださいね」
『こ、怖い。司にシバき倒されるんちゃうか俺』
「それも覚悟してください」
『そんなぁ』
「冗談です。…私だって総司さんとのんびりしたかったんですからね」
『うん。俺も。ユカリちゃん堪忍。すぐ帰るでな。…愛してる』
「…続きは後で。では」

電話を切って携帯をカバンに戻す。司はいったい何処であんな言葉を覚えたのか。
関西弁は総司から聞いていたにしても彼が普段言わないような言葉遣いまでしていた。
百香里自身だってそんな事は言わない。真守も使わないだろう。となると。

「お前。あんな言葉遣いはするなって言ったろ」
「だって」
「だってじゃねえ。お前は普通に喋れ。父親の真似なんかすんじゃねぇ」
「ぷー」
「くすぐるぞこら」

どうやら彼でもないらしい。犯人が分からないままに会場を後にする。
司の手には1番大きなヌイグルミ。百香里も今回は目を瞑る。
一生懸命抱きかかえ嬉しそうに笑う娘を見られたのだから。


「す、すみません」
「そんな謝る事ないんですよ。お仕事ですから。それは私も司も理解してます」
「しょうがねえよな。社長ってのはさ」

総司よりも少し早めに帰ってきた真守。
リビングで今日の出来事を全て聞いた彼は顔色を変えた。
きっと司が悲しんでいたのを申し訳ないと思ったのだろう。
社長である以上それはもう諦めるしかない仕方のない事なのに。

「あの、それも…あるんですけど…」
「何だよ歯切れわりぃな」
「何かあったんですか?」

真守にしてはソワソワして落ち着かなくて視線が泳いでいる。
不思議に思い彼からの返答を待つ百香里と傍に居た渉。
司は5時から始まるアニメを観ようとソファに座ってスタンバイ中。

「…僕の所為です」
「え?」
「は?」
「司がそんな乱暴な口調になったのは僕の責任です」
「うそ」
「何で?あんたそんな言葉遣いしないだろ」

しつけに厳しくジュニア英語のCDなんかも買ってくるくらいなのに。
でも真守は冗談を言う人間ではないしこの慌てようはホンモノだ。

「実はこの前部屋で映画を観まして、そこに途中から司が来て」
「AVみたのか!」
「そんなんじゃない。任侠ものを…」
「に、任侠もの!?真守さんが!?」
「人のAVに文句つけるくせに自分は任侠ってどうなんだよ」
「お前のような破廉恥なものは見せてない。それにものの5分もしないうちに寝てしまった」
「じゃあその5分であんなヤクザみたいな口調になっちまったのか」

子どもの吸収力とは恐ろしいものだ。渉は不満げに真守を睨んでいる。
百香里は最初こそ驚いたもののさほど動揺はしていない。

「すみません。教育に悪いと分かっていながら観てしまって。すぐ寝るだろうと思って」
「い、いえ。あの。はい。それは…仕方ないですね」
「ふざけんなよ!あいつがあのまま不良みたいになったらどうしてくれんだ。
おっさんみたいな喋り方するだけでも嫌なのに!俺だどんだけ苦労して修正したと思ってんだ」
「へえ。渉さんって結構努力家なんですね」
「ユカりんももっと何か言えよ。司はこうもっと淑やかな感じでさ」
「渉さんの理想って高そう」
「そーじゃねーだろ」
「渉落ち着け。今後は気をつける。司には近づけさせないからそれで許してもらえませんか」
「はい。でも意外。真守さんそういうの観ないかと」
「最近進められて。でも暴力的なシーンは心臓に悪いので飛ばします」
「それじゃあんまり意味がなさそうですね」

事情が分かってすっきりした百香里に対し余計にモヤモヤしている渉。
アニメが始まって嬉しそうに観ている司の隣に座って苛々しながら彼も観ている。

「渉さんって私が思ってたイメージと少し違いました。ずっと一緒に住んでるのに」
「そうですね。僕も驚いていますよ。あんなに真面目に考えているなんて」
「ええ。いいお父さんになると思います。もちろん真守さんも」
「司でいい練習になりましたから。でも、この家族が僕等にとって1番の理想かもしれない」
「え?」
「いえ。そろそろ兄さんが戻るかと思います。買い物をしてくると息巻いてましたから」
「買い物ですか」
「今日の事を挽回しようと必死なんでしょう。許してあげてください」
「しょうがないですね」

苦笑する百香里。彼女も総司と一緒に3人家族で出かけたかった。
行けないと知った時は司同様に落ち込んでちょっと泣きそうにもなった。
だけど娘の手前クヨクヨする事も出来ず。こうして気を張り詰めてきて。
やっと総司が帰ってくるとなるとやはり気持ちは緩んでくる。
それを見透かしたように真守はお疲れ様ですと優しい笑みを見せた。

「司!みてみ!お前の好きなネコクジラのヌイグルミ!」
「あー」
「あーあ」
「あ…」

早足で玄関から廊下を抜けリビングへのドアを開けてその巨大なヌイグルミを見せると
娘からの喜びの声ではなく妙な間と3人そろって変な声。

「あ、あれ。なに?この嫌な感じ」
「ネコクジラはもう2番なんだよ。1番はこっち」

渉が指差した先にあるのは司が抱っこしている巨大なネズミイワシ。

「う、うそぉん」
「パパ」
「堪忍。あの。ほんま…その」
「1位はユズに買ってもらったから。2位もほしかったの。ありがとう」
「そ、そうか。2位やけど、もろてくれるか」
「うん!」

渡すと嬉しそうに受け取って1位と2位を並べて幸せそうにしている。
機嫌は悪く無さそうだ。電話で脅されたような恐怖もなさそう。
ただし遊園地と水族館と良い所でお泊りは確実だけど。

「おかえりなさい」
「ユカリちゃんにも。これ。受け取ってくれるか」
「何ですか?」
「隅田屋のおはぎ」
「う、うそ!あの幻の!ありがとうございます!」

百香里には物より食い物が効果的。特に甘いものがいい。
総司は前から彼女が食べたがっていたおはぎを渡す。
嬉しそうに受け取ると軽く頬にキスまでしてくれた。よほど嬉しいらしい。

「渉。今日はほんまありがとうな」
「昔からあんたが嫌いだった。今はもっと嫌いだ」
「いきなり何や?定期的な反抗期か?」
「これらもずっとあんたが嫌いだ。でも、あの胸糞悪い親父とは違うと思ってる。
これからもそう思いたい。やっぱ親子でしたなんて失望させんな。…社長さんよ」
「お前も同じ家族やないか。そんな水臭い事言わんと仲ようしたらええやろ」
「せやせや。なかよーしよーや」
「お。司も上手に言えとるやんか」
「だから。…その喋り方は止めろって言ったろ!こら!」
「何でや?可愛いやん」
「可愛くねえよ!ほら!こい!オシオキしてやる!司!」
「やーん」
「まてこら!」

昼間作った紙飛行機を持って走り回る司を追いかける渉というのはちょっと珍しい。
あんな必死になって追い掛け回すなんて。よほど嫌だったのだろう。

「何でや?何がおかしい?なあユカリちゃん。真守。何かおかしい?」
「さあ…」
「どう、でしょうね」
「何やの2人してー嫌やわ」
「いいじゃないですか。色々ありますって。お茶どうぞ」
「おはぎ美味しいですね兄さん」
「何か俺だけ適当に丸め込まれてへん?」
「平和なんだからいいじゃないですか。総司さん愛してます」
「ほんま雑に纏めてきたなこの子は。でも、愛してるからええか」


おわり


2012/09/12