お初


「お母さんどうしよう」
『なにが?』
「今日ね、その。新居の見学に来たの。といってもずっと住むわけじゃないみたいなんだけど」
『そういやそんな事言ってたわね。でもどうしたの泣きそうな声出して、もしかして酷いとこだったの?
だったらちゃんと言わなきゃ駄目よ?これから松前さんと一緒に住む場所なんだから』
「酷くはないんだけど。その。困って」
『困るって?どうしたの百香里。多少ボロくても壁と屋根さえありゃ人は生きていけるわよ』

この気持ちをどう言葉に表したらいいか分からない。でも母もここに来れば泣きたくなるだろう。
自分よりはるかに年上の人と結婚し新しい人生を歩んでいく事になった百香里。
住む町も変わるから暫くは大人しくしていて落ち着いたらまた仕事をするつもりでいたのだが。
それも出来るかどうか不安になってきて。つい母に電話していた。
結婚したのだからもう迷惑をかける事はないと思っていたのに。ああ、どうしよう。
その後特に会話が続かないまま電話を切ってため息。

「ユカリちゃん。どないした」
「え!?あ…ちょっと母に電話を」

そこへ買出しに出ていた総司が戻ってくる。心臓が飛び出るかと思うくらい驚いた。

「お義母さんにもまた来てもろたらええね」
「そうですね。たぶん、物凄く驚くと思います」
「はは」
「ほ、本当にここに住むんですか?」
「あかん…かな?その。ユカリちゃんが言うてた広い台所あるし。部屋も広いし」
「そ、そうですけど」

まるでお店の厨房みたいな機能性。広さ。でも使われている様子はなくピカピカ。
もったいない!という気持ちと使っていいのだろうか?という気持ちでソワソワする。
部屋も広いという言葉では足りない。広すぎる。リビングへ行くまでに迷いそう。
ただでさえ広いのにおまけに2階もあるマンションなんて百香里は知らない。

「と、とにかく。茶でも飲もうや」

そう言って総司はペットボトルのお茶を出した。ここにある綺麗な冷蔵庫には酒しか入ってないらしい。
茶葉もないと言う。冗談かと思ったがこうしてコンビニへ出て行ったあたり本当なのだろう。
ここには弟たちが先に住んでいるから生活臭がするはずなのだが何故かそれが殆ど無くて。
まるで新しく借りてきた部屋のような真新しさすら感じる。それはそれで悪くないかもしれないが。

「総司さん」
「何や」
「信じてます。けど。一応言います」
「え?」

ここがどういう場所なのか百香里にはさっぱり理解できない。そもそもそんなお金彼にあるのか?

「新婚早々借金地獄とか嫌です」
「な、なんで?何が?俺なんもこうてへんけど…」
「この部屋月に幾らするんですか。2人で働いて借金しなきゃ無理ですよ。それと弟さんたちにも手伝ってもらって」
「ここ。賃貸ちゃうねん。買うたもんで家賃はいらんのよ」
「か、買っちゃったんですか!?」

正直言うと総司はそんなお金ないと思っていた。でもそんなお金あるなら貯金しましょうよ。
この先2人で生きていくのにお金は大事だ。自分は暫くバイトはしないつもりだったし。
百香里は真っ青な顔になって将来の事を計算しはじめる。どうしよう生きていけるだろうか。
そもそもそんな重要な事を妻の自分に言わないで決めてしまう旦那なんてどうなんだ?
それってこれからも知らない間に金を使ってしまう酷い人なのでは。疑いの眼差しを向ける百香里。

「な、何や怖いなあ。その。ユカリちゃんに言わなんだのは悪かった。ちゃんと説明するで。な。機嫌直して」
「幾らしたんですか。はっきり言ってください。怒りませんから…」
「もう既に顔が怒ってるけど。…えっと。どうやったかな。だいぶ前に買うたもんではっきり覚えてへんけど。億はいったかな」
「…お…ぉ…く…っ……」
「ゆ、ユカリちゃん!?」

億って千万より上の桁じゃなかったかな。そんなのニュースとか宝くじとかでしか聞かない数字じゃない。
この人についていこうと思ったのは間違いだったかもしれない。百香里は気絶する意識の中で薄っすらと思った。
それからどれだけ時間が経過したか覚えてないが気づいたらベッドに寝ていた。何処の部屋かさっぱり不明。
総司もいない。恐る恐るドアを開けてみると長ったらしい廊下。永遠に歩くんじゃないかと思うくらいの。

「今更のこのこ帰ってきて何様だ。あいつが死ぬのを見に来たか?」
「渉」
「この前弁護士に呼ばれてな。大事な時やし、ここで居ってくれへんかちゅう話で」
「あいつの遺言聞くのにあんたが行方不明のままじゃ困るもんな。どうでもいいけど」

廊下を歩いていると声がしてきた。1人は総司だ。でも他の人はわからない。
立ち聞きする気はなかったけど入るタイミングをそこねてその場に立ち尽くす百香里。
知らない声は2つ。3人で会話しているのだろうか。皆男だ。

「確かに会社の為にも兄さんが居てくれた方がいい。ここは広いですから僕はいいと思いますよ」
「会社の為ちゅうか。俺は家に戻る気らないで。暫く様子見てそんでまた出て行く」
「兄さん。お願しますよ、松前家の次期当主じゃないですか」
「よっしゃ。ほな、お前せえ。これで解決や」
「……貴方という人は何処まで」

彼が苛立ちを隠せないのは声だけでも分かる。
こんなピリピリ苛々した空気は余計に入りづらい。

「そーいう話は反吐が出る。好きにしろよ。めんどくさい事はしたくねえんだ」
「渉。お前も松前家の三男という自覚を」
「勘弁してくれよ。ただ待遇がいいから会社に居るだけだしここに居れば家賃もいらねえし。
俺は家の事なんかどうでもいい。そもそもここに家族なんてあったか?松前って名前だけだろ。
中身は空っぽで好き勝手に生きてるじゃねえか。あんただって、そっちの奴だってさ」
「せやね。勝手に生きてきたわ。お前等にも迷惑かけてる。やからちゅう訳やないけど、
最後くらい親父のいう事聞いてここに戻ってきたわけや。可愛い嫁さんと」
「あー。あんた結婚したんだったっけ?3回目だっけ?あれ。4回目?」
「2回目や」
「2度ある事は3度あるって言うけど。今度はどうなの?いい女?」
「渉。そんな下品な言い方はやめろ。その女性もここに?」
「そうや。そんで、家の事もちょっとばかし知ってもろたらなーと思ってな」
「説明してなかったんだ」
「戻る予定無かったもんでなあ。言いそびれたちゅうのもあるけど」

百香里はそっと来た道を戻る。自分が知らなかった事を一気に言われても混乱するだけだ。
総司は説明しようとしてくれているからその時に聞こう。それともこれは夢だろうか。
彼は普通のサラリーマンだと思ったのに、そうではなかったということ?
自分が好きだった人はいったい何者なのか。信じていたものがどんどん壊れていく。

「でもさ。気をつけた方がいいんじゃね。人間は金見せると人格かわるぜ」
「ユカリちゃんはそんな子と違う」
「まあ暫く様子みてなって。金とか土地とか宝石とかせびってくっから」
「もういいだろう。兄さんの奥さんだ、ここに居ないからといってとやかく言うのは失礼だ」
「居るで」
「居るのかよ」
「居たんですか」
「ちょっと疲れたみたいで部屋で休んでる。連れてこうか」
「いいじゃん。挨拶さしてよ。オネエサンにさ」
「行き成りですが確かに挨拶は必要ですね。お願します」

総司は立ち上がり百香里が居る部屋へ。
あんな空気の中で彼女を放り込んだら何か余計な事を言いそうで怖いけれど。
暫くの間とはいえ、これから一緒に住む事になるのだから挨拶は必要だ。
寝ているだろうからそっと部屋に入ると百香里はベッドに座ってため息をしていた。

「ユカリちゃん」
「あっ…ど、どうも」

声をかけると酷く驚いた様子でビクっと体を震わせ振り返る百香里。

「起きてたんか」
「さっき」
「堪忍してな。ほんで、今弟らが居るんやけど。挨拶…せえへん?
そこで色々と話ししたいんやけど。無理やったらまた今度で」
「いえ。聞きます。…じゃないと不安で」
「え?」
「行きましょう」

百香里は立ち上がり総司と一緒にリビングへ。あの声の主たちと顔を合わせるのだ。
その瞬間はバイトの面接くらい緊張した。弟たちは想像よりもずっと大人。
2人とも明らかに社会人。総司の歳を考えれば当然と言えば当然なのだろうが。

「え。と。兄さん此方は」
「嫁さん」
「百香里です。はじめまして」
「じょ、冗談…ではなくて?」
「どうみても犯罪だろ。あんた幾つよ。10代?」
「20歳になりました」
「はっ!?」

知的でさも冷静そうな眼鏡の男は目を丸くして言葉にならない様子。
もう1人のちょっと目つきが悪そうな人も流石に驚いたのか口をぽかとあけている。

「じ…冗談キツいぜぇ…あんた…この男が幾つか分かってて言ってんの?」
「はい。知ってます」
「バツ持ちってのも?」
「はい」
「ガキが居るってのも?」
「はい」
「じゃあなんで?マジで理解できねー…」

兄の若すぎる後妻に静まり返る空気。

「このご時勢色んな趣向があるものですからね。歳の差婚も珍しくは無い」
「だいぶテンパってんな」
「つう訳やで。よろしく頼むわ」
「よろしくお願いします」
「あんた、本当は知ってたんじゃねえの。こいつが松前家の長男ってこと」
「え?ええ。長男だというのは聞きました」
「そうじゃねえよ。こいつが金持ってるって知ってて近づいたとか?糞ジジイも死にかけだしそれで」
「そういう話はまだしてへんちゅうたやろ。この子に妙な言いがかりすんやな。承知せえへんぞ」
「……はいはい」

今まで一度だって見たことない総司の怒った顔。怒鳴るとか声を荒げるとかでなく。
静に落ち着いた声で、でも心臓に突き刺さるような怖いプレッシャーを与えるもの。
百香里も怖くなって彼がどんな顔をしているか見上げる勇気はなく。
弟も圧倒されたのか何も言わなくなり。総司は百香里を連れてリビングを出る。

「本当に何も知らないで来たみたいだな。あの様子からして」
「どうでもいいけど、煩いのだけは嫌だ」
「ならここを出るか」
「指図すんな」

先ほどの部屋に入ると百香里はすぐに総司に抱きしめられた。

「堪忍したってな。あいつほんま口悪て」
「いえ。私そういうの気にしない人間なので。それよりもどうして言ってくれなかったんですか」
「それは」
「総司さんが本当はお金持ちだって知ったら私がお金とかせびるとか思ったんですか。
家が貧乏で何時もお金欲しがってる女だから?そんな風に思われるほうが私は辛いです」
「ンなこと思ってたらこんなおっさんがユカリちゃんにプロポーズらせえへん」
「じゃあ」
「家を出たちゅう話しはしたやろ。今はしゃーないけど、ずっとここにはおらへんし俺はもう家に戻る気はない。
ユカリちゃんは何でもないふつーのサラリーマンの俺を好きになってくれた。やからこのままで居りたい」
「…総司さん」
「ユカリちゃんに嫌われたないんや。ずっと好きでいて欲しい。その為やったら何でもする。何でもや。
例え金欲しがったってそれで傍に居ってくれるならかまへん。こんなおっさんが出来る事やったら」
「お金は自分で働いて得ないと有り難味を見失ってあっという間に消えてしまうって母が言ってました。
だいいち。総司さんとはそういうやりとりする必要ないじゃないですか。夫婦なんですよ?」
「ユカリちゃん」
「私が欲しいのはお金よりも家族です。途中で欠けてしまったから。だから。幸せな家族になりましょう」

総司の腰に手を回し百香里はニコっと微笑んで見上げる。総司は最初こそ情けない顔をしていたが
百香里に釣られるように笑顔になってそのまま彼女にキスする。
心配する必要なんかなかった。彼女とならきっと自分も幸せな家庭を築けると実感できる。
だからこそ不安になったり心配してしまったりするのだろうが。総司は情けない自分を恥じて。

「ほな暫しの新居で幸せを感じようや」
「ま、まってください。まだ弟さんたちが」
「ええねん。あいつらもうええ大人やし。勝手にするわ」

百香里を抱き上げるとベッドに寝かせる。

「一緒に住むんですよね」
「心配せんでもあいつ等勝手にしよるで何もせんでええ」
「そうはいきませんよ。私頑張って家事します」
「ここ掃除してたら大変やで。ええからええから。可愛いパンツ脱がしたろ」
「…もう…真面目な話を」
「分かった。ほな、折衷案や。真面目なえっちしよ」
「結局えっちじゃないですか」

百香里を全裸にして自分も上着を脱ぐ。その表情はとても嬉しそう。
交際を経て結婚に踏み切ってから彼が求めてくる回数が多くなった気がする。
普通のカップルがどれくらいセックスしてるかなんて知らないけど。絶対に多い。

「自分がめっさ可愛いからやん」

百香里の胸を揉みながら吸い付いている彼にストレートに聞いてみるとそんな返事。

「ただ若い子が好きとかいう問題じゃないでしょうね」
「俺がこんな愛してんのに。嫌やわ」
「あんっ」

総司の手が胸からまだ濡れてないソコへと伸び指で上下に優しく掻き乱す。
そしてその刺激で勃起した突起を掴む。強い刺激が走り百香里の腰が浮いた。

「今日はもう何べん無理ですー言われても許したらん」
「総司さ…んっ」

総司が意地悪く耳元で囁く。ちょっと怒ったような声だけどそれが艶っぽく聞こえる。
その間も百香里の胸もソコも指で刺激され続け果てても休憩を許してはくれない。
思わずギュッと彼の首に手を回し抱きつく。熱くて硬い体。仄かに香る彼の香水の香り。

「何が欲しいて?」
「…ん」
「言うてくれな分からん」
「…さん」

経験の無いそういう事には無縁の百香里だったのに総司に何度も抱かれた所為か
刺激だけでなく総司の体に触れるそれだけでドキドキして興奮するようになって。
自分から彼自身を求めるくらいになっていた。普段だったら絶対しないのに。
これは彼の思惑通りなのかもしれない。ちょっと悔しい。どこかで思いながらも体は素直だ。

「百香里」

かすれた声で総司に名前を呼ばれると弱い。最後の羞恥心も消えてしまう。

「そ…総司さん…ください…いっぱい…」
「ほんま可愛い嫁さんや」

顔を真っ赤にしながらもちゃんと言えた百香里にキスして覆いかぶさる。
何度も来る絶頂に時間を忘れて。空腹すらも忘れて。
ここが泣きたくなるほど困るような豪華なマンションであることも忘れて。
そこから脱出できたのは翌朝だった。



「な、なにもない!」
「せやろ。飯食いにいこか」
「こ、こんな所でどうやって皆さん生活してるんですか!?」
「各自飯食ってくるんやろ。知らんけど」
「外食ばっかりですか?もったいない!私が作ります!」
「ええよそんな」
「総司さん。私は総司さんの奥さんです。でも殆ど何も教えてもらってませんでした。
その上こんなもったいない事してるお部屋に住めって言われてます。相談もなしに」

ツマミと酒しかないがら空きの冷蔵庫。使ってない綺麗な台所。
百香里にとって広く機能的な台所は夢だ。なのにこんなお金の無駄をして。
それほど嫌いなものはない。百香里は昨日以上にこの惨状に苛立ちの顔。

「めっさ反省してます」
「だから。家事の事は私に従ってください。いえ、従いなさい。それでチャラにしてあげます」
「そんなんでええの?わかった」
「もちろん弟さんたちもです一緒に住むんですからね」
「え!?いや、あいつらは別にえんとちゃうの。えー大人なんやし」
「総司さん?」
「は、話ししてみますぅ」
「じゃあさっそくお買い物に行きましょうね。あと使わない部屋の電気は消しましょう無駄です。
それとお掃除もしないとだめですね。使ってない部屋でもしないと。それから洗濯もしてなさそうですから。
お店に頼むくらいなら私が全部丸洗いします。やる事が沢山ありますね。手伝ってください」
「は、はい…」

その後、彼らがこの家から出る事無く総司は社長となり百香里が松前家にとって大事な存在になってくとは
誰も想像しなかっただろう。


おわり


2012/10/16