物欲



「え。今から部屋さがし?」
「ううん。見てるだけ」
「そうなんだ。実家から通うの?」
「下宿先から」
「あれ?亜美って一人暮らししてたっけ?」

お昼休み。賃貸雑誌を広げて眺めている亜美の隣に座る友人。
卒業シーズン。新社会人の他にも進学で部屋を決める人は多い。
決めるのが遅いともうほぼ好条件は埋まっていて、
不便なところしか紹介されない。女子は防犯には気をつけたいし。
友人がこんこんと語るが彼女は聞いているのか居ないのか。

「彼氏とね…まあ、一緒なんだよね…」
「え!そうなんだ。知らなかった。通りで合コンさそっても来ないわけだ」
「まあ。ね」

嘘は言ってない。全部は話してないけど。

「でもさ。社会人になって忙しくなると彼氏とすれ違ったりしてさ。
私の姉貴とかも同じでずっと同棲してた彼氏が居たんだけど、
お互いに就職して働き出したら時間が合わなくなって。バラバラになって。
最後は別れちゃったんだよね」
「縁起でもないこと言わないでよ。でも、彼氏はもう仕事してるから平気だよ」
「へえ。何系?」

普段決して男の話をしない亜美だからか、ぽろっと出てしまった「彼氏」という言葉が
よほど気になるようでやたら深く掘り下げて聞いてくる。
下手に隠すのはヘンに思われそうだしかといって正直に全部話すのも嫌。
叔父さんだからもあるけど、今まで誰にも言わずに隠してきたから未だに
おおっぴらに言うのに慣れない。例外もあるけれど。あれはその場の勢いが大きいので。

「…教師てきな」
「へえ!先生なんだ!安定の公務員じゃん」
「そうなのかな」
「違うの?あ。もしかして塾講師?」
「ううん。…大学のね」
「へ。もしかして教授!?」
「あっいっいや…ちがっ…あの人はっ…そのっちがっ」

大きな声で教授とか言わないで!どうしようパニックになってきた。
教授なんてここは短大なんだからいっぱいいるのに。

「へえ。出会いとか超気になるんですけど」
「ごめん講義の時間あるから。またね」

これ以上ボロは出せない。相手はまだまだ聞く気まんまんだし。
亜美は荷物を乱暴にカバンに押し込めてその場から逃げた。
名前さえ出さなければどうってことないはずなのに。
何で言えなかったんだろう。ヘンに恥ずかしがったりして。嫌がって。

『どうしたの?これから君は講義があるはずだけど』
「なんか申し訳なくなって」
『どういう意味?』
「私嫌じゃないからね。…ほんとに。大好きだからね」
『わかった、詳しい話は後で聞くよ。私も講義があるのでね』
「…迎えに来て?一緒に御飯食べながら話ししよ?」
『わかった。また連絡するから、落ち着いて講義に参加するように』
「はい。先生」

言い訳がましい事を垂れ流す前に相手にやんわり電話を切られる。
お互いにこれから講義。最後の最後までしっかりと参加しないと。
けど、正直あとはもう本当に参加するだけなので気は抜けている。
ぼんやり考えながらペンを握って。時間だけが過ぎていった。


「ねえ雅臣さん。私の事助手さんに紹介できる?」

講義をすべて終えて、学校から少し離れた駐車場で待っている彼の元へ。
車に乗り込んで、ちょっと憂鬱そうな空気を醸し出しつつ。切り出す。

「何故君を彼に会わせる必要があるのかな?」
「そーいう意味じゃなくって。もしもの話」

彼の外国に住んでいる叔母さまには紹介されたことがある。
あまりに亜美が若くて最初は信じてもらえなかったけど。

「そうだね。彼相手だと少し恥ずかしい気もするけど。出来ないことはない。しないけどね」
「そっか。…念入りに否定しなくてもいいのに」

下手にその辺を刺激するとこの教授は簡単に助手をクビにするから。
自分の言葉で1人の人間が職を失うなんて後味が悪いとかのレベルではない。

「どうして?」
「元からなんですけど。彼氏とか人に話しするの苦手なんですよね。
人のノロケ話を聞いてても眠くなるし」
「それは至極まっとうな反応だと思うよ。たいだい他人のしょうもない話を聞いて
何が楽しいのか理解できない。時間の無駄としかいいようがない雑音だね」
「…貴方は他人に興味がなさ過ぎなんです」

むしろもうちょっと人の話を聞いてあげてください。
絶対周囲の人達に迷惑かけてるよこの人。

「それで?君の中では結論が出ていることなんだろう?何が気になるの」
「真里奈の時みたいに自信満々に言えたらなーって」
「言ってどうなることでもないと思うよ。まあ、虫除けにはなると思うけど」
「なるほどね。ああ。なるほど。うんうん」
「…何故私を執拗に見てくるのか理解に苦しむのだけど」

怒ってるの?でも何に?亜美の気持ちがいまいち察せない雅臣。
だがそんなことはいつものことなので、気にしても仕方がない。
目的地があったわけではないから車を適当に走らせて、でもまだ夕飯には早い。
パーキングを見つけて車から降りて適当に繁華街を歩くことにした。

「…可愛いなー」
「駐車場はまだ空いているから使うといいよ」
「免許無いの知ってるくせに」
「取ればいい」

ふと目に入ったのは新車の宣伝ポスター。この近くに店があるようだ。
可愛い色も選び放題の小型で女性が好みそうな丸いフォルム。
でも、免許はない。そして買う金もない。働き出せばローンでかえるだろうか。

「教習所通うのに幾らかかると思ってるんですか」
「さあ」
「……これだから金持ちは嫌味なんだから」

そちらからしたらはした金でしょうよ、でもこっちには死活問題。

「でも仕事をする上で必要になってくるかもしれないよ?」
「そうだけど」
「私に借金すればいい。兄さんに無理をさせるよりは幾らか精神衛生上いいだろう」
「でもなー。これ以上この歳で借金まみれなんて嫌だしなぁ」

もし叔父さんに借りてなかったら、銀行でもヤミ金でもきっと今みたいには生きられない。
それはとても怖いことだけど。だからってこれ以上塗り重ねるのも。
ふたりきりの海外旅行だっていづれ返すにしても今は彼が出してくれるのだろうし。

「その分長く家政婦さんに頑張ってもらうだけだよ」
「単車とかでもいいけど」
「それは危ないから駄目。それなら車にしよう」
「……お父さんと同じコトいう」

確かに単車じゃちょっと接触しただけでも大事故だもんな。
考えこむ亜美。

「私なら気にしない。幾らでも君に貢ぐのだから、好きなだけ言えばいいんだ」
「じゃあ夕飯は豪華にステーキ食べたい」
「そうしよう」
「その前にこれ試乗できるみたいだからここ行きましょ!」
「…私が運転するのかい?これを?君、正気かい?」
「おねがい。乗ってみたいの。ね?雅臣さぁん」
「……仕方のない子だな」

明らかに可愛い女の子をターゲットにした可愛い車。
これに乗れと?でも、亜美は無理だから自分しか無い。
腕に絡んで甘えた声でおねだりしたら渋々了承した。
少し歩いて店に到着。さっそく店員に声をかけて試乗。

「あ。お、お父さ」
「私は父親ではありません。彼女が乗ってみたいと言うので乗るだけです。
断じて私の趣味で乗るわけでは」
「ほら雅臣さん運転運転」

運転席に乗り込んだのが大興奮で興味を示している女の子ではなく
隣の男だったので付き添う店員がちょっとびっくりした顔。
彼女は後ろに乗ってシートの触り心地や運転席を好奇心一杯で見ている。

「免許はまだ取られて」
「まだなんです。でも、取ったらこれがいいなあ。可愛い」
「宜しければ見積もりをお取りしますが」
「あ。それは」
「お願いします」
「雅臣さん」
「かしこまりました。オプション等の説明もまたさせて頂きますね」

確かに欲しいとは思うけど、まだ免許を取るかどうかも不明なのに。
前提で話を進めないでと店員が居なければ小突くところだけど。ソレも出来ず、
最初はあんなにはしゃいでいたのに恥ずかしそうに落ち着いた。

「あの、すごい金額が見えたんですけど」
「その前に先ずは免許だね」
「……雅臣さん」

詳しい話は2人でやって亜美はカタログを眺めているだけ。
きちんと話を聞きたかったけど、金額等見るのが怖くて逃げた。
それでも見積書が気になってチラっとみて目が飛び出る。

「君の運転で出かけるのも悪くない。まあ、その前に適正は見せてもらうけど」
「酷い言い方。でも、そうですね。雅臣さんを連れて病院とか行かないと駄目になるし」
「……。え?」
「将来の話ですよ」

自分でももっと遠出したい願望も無いわけじゃない。
バスや電車は時間に縛られるし。
でもそんなのは我儘だと思っていたけれど。

「食事をしようか。冷や汗をかいて喉が渇いたし」
「あ。私ワイン頼んじゃお。ステーキにワインとか最高じゃないですか」
「ぜひ君には免許を取ってもらって私に酒を飲ませて欲しいよ」
「そんな恨めしい顔しないでください」

ステーキが食べたいとリクエストしたらここにしようと連れて来られた洋食店。
そこまで堅苦しくはないが気軽に入れるほどカジュアルでもない。
でもお腹が空いたのとワインが飲みたいので亜美は雅臣の腕に絡んで入店。
席に案内されてメニューを眺めあれこれ注文。昼の電話では
彼女から話がある素振りだったがどうやらもうそんなことはどうでも良さそう。

「君は実に美味しそうに飲むね」
「えへへ。雅臣さんのお陰ですっかりワインにはまってます」
「…私も飲もうかな」

亜美が注文したワインをさっそく一口。と、
雅臣がやけにじっくり見つめてくるから何かと思えば酒を見ていたらしい。
無駄に意識してドキドキした自分が腹立たしい。

「えぇ。でも。あ。お泊りする?」
「いや、タクシーで帰ろう。車はパーキングに置いて明日取りに来たらいい」
「そっか。今忙しいんだっけ。もしかして今日も」
「君との時間はカウントしていないよ。だから私も飲む」
「飲んで酔っ払ったら出来ませんよ?」

ワインを飲みつつ、伺うような視線を向ける亜美。

「今日で終わるものでもなし、明日からまた頑張ればいいさ」

気にせずメニューを開く雅臣。

「雅臣さんとえっちしたいのに」
「…君、もう酔ってるのかい」
「酔ってない」
「真っ赤な顔をして。…飲まないほうがよさそうだね」

両方酔っ払ったら他に誰も介抱出来ないのだから。
メニューをしまって料理が来るのを待つ。
その間亜美はまたグイグイと飲む。飲む。

「1杯しか飲ませてくれない。けちな彼氏」
「何とでも言えばいい。ほら、きちんと歩いて」
「歩いてる」
「私にかじりついていないと歩けないのに?」
「これは雅臣さんが好きだから!甘えてるの!」
「怒鳴りながら甘えるなんて器用なことをするね」

食事を済ませ店を出ると足元がふわふわの亜美。
転んでは大変と手を伸ばすとぎゅっと抱きついてきた。
大通りに近づいてタクシーを拾おうと向かうけれど
その移動中も何やら怒りながらもくっついてきた。

「実は教習所のパンフは持ってるんですよね」
「どれ見せてごらん」
「はい」

家に戻り水をグイグイ飲んで。ぷはーっとおっさんのような事を言って。
先に自室に戻っていった彼氏を追いかける。手には教習所のパンフ。
興味なさそうにしながらもやはり気にはなっていたようだ。
本来ならきっと隠しておきたかったもの。酔も手伝ったのかもしれない。
渡すと服をその辺に脱ぎ散らかしてベッドに倒れ込む。

「…いいんじゃない?これに申しこめば」
「どうせなら合宿とか行こうかな」
「合宿ねえ」

よいしょ、と声を出してパンツを脱ぐとベッドの中からその辺に投げ捨てた。

「他の人も一緒らしいけど。早そうだし」
「そういうのはリスクが高くないかな」
「そうかな」

雅臣はそれらをきちんと拾い集めソファの上に置いて。

「亜美」

ベッドに座って今にも眠りそうな彼女の頭を撫でる。

「雅臣さんも寝よう…」
「先に寝ていいよ」
「……せっかく脱いだのに」
「続きは朝にしよう。私も着替えたら寝るから」

それが心地よかったようでいつの間にか寝息が聞こえてきた。
苦笑しベッドからいったん立ち上がりきちんとパジャマに着替えて
部屋の電気を消すと素っ裸の亜美を抱きしめて眠りにつく。


「やっぱりお風呂入るとすっきりするー」
「二日酔いにはなってないようだね」
「だって1杯だけだもん」
「けちな彼氏ですまなかったね」
「何のことやら」

翌日、先に起きた亜美にたたき起こされて一緒に風呂に入る。
脱ぎ散らかしたのも飲んで管を巻いたのもあまり覚えてない。
入るなりまっさきに全身を洗ってスッキリして彼の膝に座る亜美。

「でも私は君のためなら」
「何も惜しまない。ですよね」
「そうだよ」
「じゃあ今私がほしいものわかる?」
「なんだろうね。…私と同じものかな?」

意味深な視線を亜美に向けるとさり気なく腰を抱き寄せ
亜美も微笑むと雅臣の首に手を回しキスする。

「ん…雅臣さんと付き合うと…凄い欲張りになる…」
「どうして?」
「……欲しいもん。ぜんぶ」
「それは私も同じだよ」

夢中になってキスをして体を触れ合って。
風呂場ではそれまでに抑え本番は部屋に戻ってから。
それでも雅臣の舌と指で何度か亜美は果てる。

「もぉ…早く…部屋に…いかないと」
「もう少しだけ」
「……もう」

散々愛撫されてトロンとした目になって、体も潤んで。
体が熱くなるのが自分でも分かっている。だから、亜美は
ベッドに入ったら絶対すぐ一緒にイクんだと心に決める。

「そういえば、君一人暮らしする予定?雑誌が見えたよ」
「それ挿れてる最中に言うこと!?」
「気になって」
「部屋決めた人に使うかって言われて貰って。それ見てただけ」
「…ほんとうに?私に気兼ねしているのなら」
「してない。貴方には家政婦が居ないと駄目でしょ?違う人雇ってみろ殺すからな」
「わかった。じゃあ、…一緒にイこう」
「うん」

そう言って腰を動かし始める雅臣は何処か嬉しそうだった。
亜美はそれに気づいていたけれど、気づかないふりをして。
ただぎゅっと彼に抱きつくのみ。

おわり