休息


亜美が大学を卒業するまであとわずか。早く慣れてほしいと在学中でも
内定をもらった幼稚園にバイトとして行っている。多少慣れてはきているが
相手は元気な子どもたち。
毎日毎日いろんな出来事を巻き起こすので全く気は抜けないらしい。

「それそんなに面白い?」
「面白いっていうか。これはトレーニングなんです」

でも今日は休日。のんびり寝てゆっくりご飯を食べて、掃除して。
あとはソファに座っている彼氏の膝に座って延々とゲームに熱中。

「我慢のトレーニング?」
「違いますよ。脳トレです。脳トレ」

座るだけで何もさせてくれない動くことも許されない彼氏が
先程から冷めた視線を向けているが彼女には分からない。
仕方なく亜美に顔を寄せて彼女が何をしているのか覗きこむ。

「これがどう脳トレになるの?」
「パズルですよ。縦横に1から10まで揃えるんですけど。
これを動かしたいけどこっちも動いちゃうからこっちを先に移動させて
…でこっちが動いちゃうからここをこうして…うおおおお…」
「詰まったね」
「ね!難しいんです。こういうのをやれば脳が活性化されるんですよ」
「活性化ねえ。……ああ、亜美。そこは動かしては駄目だよ。動かすなら上だ」
「えーでもこれだと他が」
「いいから。やってごらん」
「……あ。できた」

雅臣が知り合いから貰ったというタブレットを早速使いこなすのは亜美。
貰った本人が全く興味を示さずに箱から出しもしなかったものだ。
ネットが出来るように設定をしたら彼女は自室などでも使っている模様。
今はよくわからない脳トレパズルに夢中。

「折角の休日なのにずっと画面を睨んでいるつもりかい?それこそ脳に良くないよ」
「だって全然すっきり解けないんだもん。意地でも解きたくなるじゃないですか」
「普段からパズルなんてしない君がスラスラと解けるほうがどうかと思うけどね。
見たところ園児向けのレベルでもないようだし。今日はもうこれくらいに」
「そんな言い方…。…どうせバカですよ。どうせ園児レベルじゃないと…できないですよ」
「意味を間違えないで欲しい。園児と遊ぶための予習をしているわけではないんだねと
言いたかったんだ。今更君の頭脳レベルをあれこれ言う気はないよ」
「なんだ。そっか。……凄い傷ついた今日はもう絶対えっちしない」
「何で?」

意地悪とかでなくて素で言うからまたたちが悪いんだこのおっさんは。
亜美は膝からはおりなかったがぷいとそっぽを向いてまたゲームを始める。
先程よりもより難易度をあげて。

「……むずい」
「質問してもいい?」
「どうぞ」
「どうしていきなりそんな事を始めたの?楽しんでいるようには見えないけど」
「大事な子どもを預かるんですからやっぱり頭も良さそうに見えたほうがいいでしょ?」
「……」
「お母さんも安心して子どもを預けようって気になるじゃないですか」
「……そう、言われたの?」
「直接じゃないけど。ちょっと生意気?な感じに見えたんですかね。私」

自分が知的に見えないのはわかってるけど。でも相手は子どもだし
子どもたちが怖がらなければそれでいいだろうと思っていた。
でもまさかの親視線。他の先輩先生に言われたわけでもなくて、ただ自分が耳にした。
化粧が悪かったのか態度が悪かったのか、何が悪かったのか。詳しくは分からない。
まだ社会経験のない亜美には大人の視線というものが難しく読み取ることが出来ない。

「だから今こうして頭を鍛えているわけだね」
「そう。無駄な努力もチリツモでなんとかなるかも」
「子どもたちはどうなの?」
「普通にやんちゃでおませで可愛い子たちですよ」
「そう」
「んー…あと1つ。あと1つなんだよねー」
「最初からリセットしてやり直した方がいい」
「えー」

頬を膨らませながらも言われた通りにリセットして最初から。
最初よりはだいぶ頭が柔らかくなって解ける気がしてきたのに。
それでもやっぱり1つ解くのに30分はかかっている。
最初だし仕方ないよね。と苦笑しているのだが。

「そこは違うよ」
「えー…」
「君はいつも同じ所で同じ間違いをしているから、そこに気づけばもう少し時間を」
「わかんない。またリセットするの?…めんどい」
「かして」
「やったことあるんですか?」
「これは無いよ。でも、この手のパズルは昔やったことがある」
「おお!凄い!じゃあハイスコア期待しちゃおう」

さっきから自信満々に指示を出してくる雅臣に選手交代。
この人は勉強はできるけれど、こういうパズルもできるのだろうか?
でも経験があるのなら大丈夫かな。

「ルールは見ていて把握している。…あれ?動かないな」
「もう。タブレットの使い方も見てたでしょ」
「数字をみてた。でもわかったよ。ありがとう」
「ほんとに大丈夫かな。昔ってどれくらい昔?まさか小学生とか言わないですよね」
「まさか。大学に入る前だよ。母の居た病室で暇つぶしにやってたんだ」
「……それって。…数独とか?」
「いや?間違い探し」

あ。だめだこれ。

「も、もういいです。自分でやる」
「クリアしたよ」
「早っ!?今の会話中に?」

嘘みたい。私は簡単な問題でも30分かかってやっと解けたのに。
でも画面を見せてもらうと確かにクリアの文字。

「はい。終わり。亜美休憩しよう」
「次はこれ」

だが亜美はネクストのボタンを押す。そして雅臣に渡した。

「まだするの?」
「5分以内に出来たらキスする」
「……」

無言で受け取り画面を一瞥し。

「出来そう?」
「5分でキスということは、だ。つまり」
「……つまり?」
「1分だとどこまでキスしていい?」

はい、とクリアした画面を亜美に見せた。

「はや!…恐るべしエロおっさん」
「さ。亜美。私に褒美を」
「…じゃ、じゃあ。これ。最高難易度だよ!これが出来たら上位ランク間違いなし!」
「何ができるの?キス以上じゃないと嫌だよ?目がチカチカしてきた」
「おっぱい触り放題」
「5分だね。よし」
「……ほんと嫌だこのおっさん」

タブレットを見つめ珍しく固まって動かない。
やっぱり最高難易度は無理だったか。
亜美がもうやめようと言おうとしたら突然彼の手が動く。

「…はい。おわり。1分切りたかったけど思いの外かかったね」
「でも2分…です。すごい」

めちゃくちゃに指を動かしてやけくそにパズルをしているように亜美には見えた。
それくらい動きが早かった。でもすべては正解への無駄なのない正確な動き。
まるで機械のデバッグでも見ているかのような、予め答えが分かっていたような。
あの画面を見ていたちょっとの時間ですでに彼の頭のなかには正解図はできていたらしい。

「もう少し若ければな。…いや、大して変わらないかな。はは」
「はい。じゃあこれは置いといて。キスして私の胸を好きなだけ触って」
「待ってました。やっとキミの顔を見つめられる」

亜美はタブレットを置いて雅臣と向かい合う。
すぐ抱き寄せられて唇を合わせ。

「ん。あ。何か来てる」
「え?」

ようかという所でタブレットが光っているので気になって再び手にとった。

「私宛になんかきてる。…チャット?でも英語だからわかんないや」
「君…そんなものもしてたの?」
「するわけないでしょ。言葉わからないのに」
「見せてごらん」
「わーい先生よろしくー」
「……、……なるほど」
「なになに?可愛いから今度会いましょうとか?わーこまるー」
「どうも私と対戦がしたいようだよ。その誘いのチャットだ」
「なんだ」
「たとえそう書かれて居たとしても私が訳すわけないだろう?」
「ですよねー」

目が据わってますもん。マジで怒ってますもん。冗談なのに。
ゲームに参加するのにメルアドとニックネーム的な名前を登録はしたけれど、
顔の写真なんて一切乗せてないんだから相手が知るはずもないのに。

「…このゲームはオンライン対戦もできるんだね」
「はい。私も慣れてきたらやろうかなって思ってたんですけどやめました」
「高難易度をクリアするとスコアが一気に上がり名前が上位ランクにあがる。
それを見てこの人物のように対戦をしようと持ち掛けてくるためのチャットか」
「そうそう」
「なるほどね。世界中の人間と頭脳戦ができるわけだ」
「興味出てきた?」
「いいや。まったく。そんなことをするくらいなら寝ていたほうがマシだ」
「…えー。意外。雅臣さん頭使うの好きそうなのに」
「嫌いではないけど、私はどうも他人と競い合うのが性に合わない。
やりたいときにやりたいだけじっくりやれたら私はそれで満足する」
「まじか。どんだけマイペースなんだよ」
「昔はもう少しやる気があったはずなんだけど。今はもうソレで十分」
「断るの?」
「今はこれよりも亜美とキスをして胸を触るほうが大事」
「じゃあ。この人に勝ったら…」
「何が貰えるの?」
「おっぱいと口でご奉仕タイム」
「ステージはどうやって選ぶのかな。ああ、これか。よしやろう」
「……」

こうなるだろうなとは分かってた。分かってたけどやっぱりがっくり。
これさえなかったら落ち着きのある完璧な年上の彼氏なのにな。
あれだけ否定しておいて凄い集中した顔でタブレット睨んでる。
亜美は膝に座ったままその戦いの様子を眺めることにした。

「この人はまだ若いんだろうね」
「え?」
「とても自分に自信がある。言葉が真っ直ぐで下手な嘘もない」
「…はあ」

彼には分かっても亜美にはさっぱり分からない。
長ったらしい英文を眺めているとなんだか眠くなってきた。

「昔を思い出してきたよ。若い頃はよく挑発されたり喧嘩を売られていたっけか。
他人に干渉していないつもりなんだけどね。どうしてか、私は気に障るらしい」
「やっかみですよそんなの。でも、喧嘩とか…危なっかしい。もちろん今はないですよね?
あっても無視してくださいね?怪我とかしたら絶対に嫌ですからね」
「あははは。うん、大丈夫だよ。君の想像しているような喧嘩はしない。暴力は嫌いだ」
「…ならいいけど。…雅臣さんの顔面を正拳突きできるのは私だけなんだから」
「……」
「あれ?冗談ですよ?」
「よ、よかった。今、心臓が止まりかけたよ…」
「またぁー」

あははは!と豪快に笑い飛ばし雅臣の頬を軽くポンポンと撫でる。
心なしか小さい声で「ヒッ」とか悲鳴が聞こえた気がしたが気のせいだろう。

「暴力は良くない。君も先生になるのだからそこはきちんと教えていかないとね」
「もちろん。で。どうですか?売られた喧嘩は勝てそう?やっぱり人相手は難しい?」
「あいにく喧嘩で負けたことは一度もないんだ」
「あ。終わってる」

渡されたタブレットにはYOUWINの文字。
いつの間に終わってたんだろう。すっかり話をして忘れてた。

「…どうしたの?そんな睨んで」
「雅臣さんはもっとこう自分の才能を使えばいいのに。もったいない」
「そんなものはもっとやる気のある違う誰かに任せたらいいんだ。
私がしてもしなくても何ら変わらない。…やりたいことは大抵やった」
「……」
「後の人生は気ままに亜美と生きると決めているんだ」
「…雅臣さん」
「ねえ。亜美。…ご褒美が欲しい」
「…うん」

今度こそタブレットを置いて雅臣に抱きつく。
たっぷりとキスをして。

「…服の上から?」
「脱ぐとは言ってない」

亜美の胸をさわろうと服を脱がそうとしたら手で止められた。

「……」
「不服そうな顔して。…脱いじゃったら今日はもうでかけられないでしょ?
せっかくいい天気だしやっぱり思いっきり外出たい。水族館あたり」
「……君にはその方が似合っているしね。わかった。では、準備しよう」
「帰りに遊園地行っておっぱいでも何でも好きにしてください」
「……」
「まだ不服ですか?」
「……いや、制限時間内にどこまで出来るかを軽く計算してただけだよ」
「ほんと…そういう才能もっと別の所に使うべきだと思う」

世界平和とか。医療技術とか。そういう誰かの大勢の為になること。
この人の性格上絶対にしないだろうけど。亜美は脱力しながらも
出かける準備をせかし自分もデート用の格好に着替え。メイクもばっちり。

「ん?なんだい。またおじさん臭い格好って?」

玄関に向かうと先に準備を終えて待っている雅臣。
彼のデート服は最近亜美が選んだものが多い。

「……こんな感じなのかな。知的って」

確かにこの人なら保護者の信頼は得られそう。
実際頭がいい上に大学の先生だし。

「これは君が私を少しでも若く見せようと選んでくれた服だけど」
「そんな言い方しないでください。雅臣さんは歳より多少若くみえるんだから」
「…多少、ね」
「そんな落ち込まないで。…私はそれでいいんだから」
「私も君が嫌でないなら構わないよ。できるだけ若くあろうとは思っているけれど」
「……若々しい雅臣さん」

亜美の頭のなかで完成された若さあふれる叔父さん。
いつも笑顔で青空のもと子どもたちと追いかけっこ。
考えるより先に手が出るタイプで元気ハツラツ。

「人の顔を見て笑うのは如何な趣味かと思うよ亜美」
「だって!ありえないっ…はははははははは」
「……どうせ私は若々しくはないよ。君の年齢の頃でも陰鬱な人間だったさ」
「ごめんなさい。ふふふ」

笑いをこらえながらも雅臣の手を握る亜美。

「…君は若いのだから、焦る事はないよ。今は子どもたちに好かれる先生になればいい」
「雅臣さん」
「評価というものは後からついてくる」
「…はい」

そっと優しく握り返される。

「それと。卒レポをギリギリまで貯めこんでも私は手伝わないからね」
「あん。…雅臣さぁん」
「駄目だよ。自分の力で卒業しなさい」
「……いいもん。最悪他の人に助力を」
「君のレポートの書き方は把握している。誰かに任せたらすぐに分かるからね。
その場合、君も再提出。相手も再提出だ」
「…こわぁ」
「あとその相手のことも調べさせて貰う必要が」
「いいですよ頑張るから。そのかわり徹夜しまくって構ってあげないから」
「……」
「どれくらいかかるかわからないけど」
「……」
「さ。行きましょ」
「……。…相談には乗ろう」
「はいはい」





おわり


2015/04/5