妥協


「やっぱ想像してるのと実際やるのは違うよね難しいよ…あーあ」
「さっきから何を1人でボソボソ喋ってんの?怖いんですけど最近の貴方」
「気にしないで。就活のストレスですから」
「それだけならいいんだけど。なんか殴って記憶喪失とかどっかに監禁しておこうとか
もういっそ切り取って女にするとか常軌を逸しているとしか思えないセリフがポンポンと」
「気のせいだよ。気のせい。それともあんたも何か」
「あ。午後の講義始まるわ。じゃね」

亜美から発せられる何かに友人は逃げるように物凄い速さで講堂を出ていった。
それを見送って何度目かの深いため息。
就活も終盤。あくせくと走り回って何度も落ち込んだけれど、内々定は貰った。
今後はバイトとして働きながらそのまま何もなければ新人保育士として働ける。
それは嬉しかった。長年の夢だったから。でももう一つ大きな悩み。
早く彼を自分だけのものにしたい。
何時かは亜美が自分から離れると勝手に悲観して線引きをしているあの人。

「……40だもんな」

年齢だけみるとアレだけど見た目は若いし顔だってその辺の奴に負けはしない。
誘わないとやらないけど実は運動はなんでもそつなく出来る。頭はもちろんいい。
性格は難ありだけど扱いさえ覚えればどうということもない。
もう3年も付き合っているからその辺はある程度フォローも出来るつもり。
年齢も環境もごり押しで行くとしても、2人の障害になるのは亜美の父親。
それさえなければほんと順調に愛し合ってて今朝も2人で仲良く…。

「あれなんかこれノロケ?」

ハッと気づいて顔を赤らめ慌てて亜美も部屋を出る。
何時もそうだ。彼の事を考えていると最初は怒ってたはずなのに
最終的にはノロケているという。何やってるんだ私状態。
クールダウンに外に出て深呼吸をして。今日の夕飯を考えて。

「亜美?」
「やだ」
「何が?」
「…見ないで」

心を落ち着かせ家に帰って夕飯の準備をしていたら
先に家に居て酒を取りに来た叔父さん。考えていたこともあって
恥ずかしくて「おかえり」と肩を抱かれそうになるのを逃げる。
ついでに見られるのも恥ずかしいのでフライパンで顔を隠す。

「どうして見てはいけないの?」
「…どうしても」
「そう言われてもやはり君の顔を見たいよ」
「だめ」
「亜美」
「しつこいぞ。ほら。お酒はあっち!」
「……わかったよ。あまり執拗に迫っても嫌われるだけだしね。行きます」

叔父さんは酒を取ると台所を出ていく。少し寂しそう。

「…今さら嫌うわけないじゃない。もう。こっちは悩んでるのに」

此方は逆切れのごとくプリプリ怒りながら夕飯の準備をして。
カッカしていたせいか何時も以上に火を通し過ぎて黒い夕飯。
それを無言で2人で食べて。またカッカしながら片付けて。

「……痛いよ亜美」
「我慢して」

自室で読書中の彼から本を奪い代わりに自分が膝に座る。
ギュッと抱き付いたら力みすぎたようで少し緩める。

「…顔見ていい?」
「だめ」
「相変わらず難しい子だ」
「……難しいの嫌?」
「頭を働かせることは好きなんだ。だから。嫌ではないよ」
「……」

彼にゆっくりと優しく抱きしめられて亜美の力んでいた力が抜けていく。
目を閉じて身を任せ。暖かくて。
そのまま眠ってしまいそうなくらい良い気持ち。

「そうだ。兄さんが、君の就職祝いに旅行に行く計画をしてたよ」
「まだ油断するのは早いけどね。というか金もないくせに何が旅行だ」
「そう言わないで付き合ってあげてほしい。その日の為にお金をためていたようだよ?」
「私は。…雅臣さんとお祝い旅行でいい」
「それは何時でも行けるさ。君が望む海外でもいい。でも、最初のお祝いは家族としよう」
「そう言えって言われたの?私が素直に行くわけないって」
「いや。兄さんには黙っていてほしいと言われた。けど。君は行かない気がしたから」
「……」
「行ってくれるね?…亜美」
「……じゃあ。…行く」
「よかった」
「雅臣さんと海外のリゾートでゆっくり2人きりになれるなら行く」
「そうなると外で観光は出来なくなるかもしれないけど」
「いい」

彼の手を握って甘える。温かくて優しくて。好きな香り。
自分がいつかプレゼントした香水を今でもつけてくれている。
それが嬉しい。けど、あえてそこには触れずにいる。恥ずかしいから。

「君とこうして居られて本当に私は幸せだよ」
「……」
「…だから。ね。そろそろ顔を見せてほしいな」
「えー」
「亜美。ね。お願いだ」
「どうしても?」
「どうしても」
「…じゃあ。見せる」

もったいぶる様な顔はしてないけど。ゆっくりと顔をあげた。
そこには満足げな彼氏の顔。

「こら」
「ふふ」

でもすぐに手で彼の目を隠す。

「亜美」
「そんなじっくりみたら恥ずかしい」
「そう言われても私は君にキスがしたいのだから、どうしても顔が近づくよ」
「じゃあこのままする」
「そんなに私の顔を見るのが嫌かい?」
「嫌じゃないです」
「なら」
「仕方ないな。よし。せーの」
「あ。待って今君変な事考え…っ」
「さあ好きなだけキスしましょうね」
「そ、そういう意味じゃ…んんんっ…ちょ……と…っ」

甘いキスに見せかけた酸欠寸前までの拷問を経て。
その日は就寝。亜美としてはそのままの流れでベッドへ行こうとしたが
叔父さん曰く「休ませてくれ」とのことなので大人しく一緒に寝るだけにした。
ちょっと甘えた方が強引だったかもしれない。


「君何時からそこに居たの?」
「かれこれ30分は居ましたかね」
「そうか。思ったより長く考え込んでいたみたいだ」
「全くですよ。そのまま石造にでもなっちゃうんじゃないかと心配しました」
「はは。それは中々面白い」

大学構内にあるテラス。麗らかな日差しを浴びてぼんやりしている人が1人。
すぐそばを学生たちが楽しげに歩いているが本人は気にもしていない。
助手は何処にも居ない教授を必死に走り回ってやっと見つけて声をかけた。
それも聞こえていないようで真剣な顔をしていたから結局傍に座って待ったのに。
当の本人は何時ものマイペース。分かっては居たが辛い。

「今まで見たことがないくらい真面目な顔で考え込んでましたけど、
今度の論文はそんなに難しいんですか?」
「そんな顔してた?」
「してました。行きかう女子たちが考えてる大野先生カッコイイ!とか
ボソボソ言いながらあつーい視線を向けてましたよ?」
「そうか。じゃあ今日はもう帰ろう」
「は!?なんでそうなるんですか。昼からの講義どうするんですか。
それに俺は会議するから教授を呼んで来いって言われてて」
「講義は休講。会議とやらには興味が無いので適当に休んでおいて」
「そ、そんな簡単に」
「今は他の事を考える気にならないんだ。お疲れ様」
「え。え。ちょ!教授!」

何の説明もなくさっさと立ち上がると去っていく上司に唖然とする部下。
それには目もくれずぼんやりと考えながら帰る準備をして車に乗り込む。
まだお昼を過ぎたあたりで家に帰るには早すぎる。
車に乗り込みキーをさしたものの、どうしたものかと暫し考えて。

「おじさんがわざわざ迎えに来てくれるなんて嬉しいというか怖いというかキモイ」

結局亜美の学校へ行き彼女にメールして合流、そのまま車に乗せた。
ここにも講師として来ているから出入りしても変には思われない。
ただ亜美は行き成りやってきた叔父さんをかなり怪しんではいるけれど。

「何処に行こうか。デートしよう」
「え。なに?盛ってるの?こんな時間から?」
「今日は予定が無くなって暇なんだ。君も講義は入ってないんだし。
たまにはどこか遠くへ行くのも悪くないと思わないかい」
「……それならそうと言ってくれたらもっと可愛い服着たのに」
「可愛いよ」
「嘘くさい」
「それは仕方ないよ。一番可愛いのは君の」
「何か食べたい。甘い物」
「はい」

拒むことは無く車は街へ走り出す。
彼女が甘いものが食べたいというのでよく友人と行くというカフェへ。

「ここのケーキ大きいから好き」
「これを1人で食べるんだね」
「何か?」
「いや。うん。いいんじゃないかな。おいしそうだ。私はお腹がいっぱいだから遠慮するけど」

大いに甘いものを満喫してご機嫌になった所で再び車に戻る。
特に何処へ行こうと思っていたわけではないので暫くドライブ。

「卒業旅行とか友達と話したりするんですよね」
「予定がいっぱいだ」

亜美が何気なく視線を向けた先にあった旅行代理店。
そこに先日友人と入ったのを思い出した。
家族と旅行するのが何時か分からないけど、被らないようにしないと。

「あ。大丈夫です。近場の温泉で済ます予定です。皆就活でお金ないから」

最初はだれかの実家に泊りに行こうとか適当にカラオケでオールとか
いい加減すぎる卒業旅行計画だったくらいだ。

「そうなの?行きたい場所があるのなら私が」
「それは2人で海外行くときにとっとくの」
「なるほど」
「雅臣さん英語できるから安心安全!」
「私は通訳代わりかい」
「通訳で銀行でガードマンで彼氏で叔父さん」
「……。まあ、そうなんだけどね」

せめて叔父さんの次に彼氏にしてほしかったな、なんて小さなこだわりを飲み込む。

「……旦那でもいいケドナ…」
「ん?何だって?」
「そだ。旅行の為の買い物しましょ買い物」
「え?それはさすがに早くないかな」
「そうやってぎりぎりまでほっとくから後で慌てるんじゃないですか」
「それはだいたい君がやっているミスだよね」
「殴る蹴るなどの暴行を加えてもいいですかいいですね」
「物騒な保育士さんだ…痛い!危ないからやめよう!」

ひねられた頬をさすりつつ亜美の指示のままにデパートへ向かう。
車を止めて、まずは何を買うのか彼女の後ろをついていく。
フロアマップを楽しげに眺めている亜美。探し物が見つかったようで
行きますよと手を引っ張ってエレベーターに向かった。

「憧れてたんですよねーこういうキャリーケースもって空港歩くの」
「今はこんなに種類があるんだね」

旅行カバンのコーナー。それの中でもキャリーケース売り場。
興味深そうに大きさや値段やメーカーなどしげしげと眺めている亜美。
どうやらネットや友人の口コミでどんなものがいいかのだいたいは把握している模様。

「部屋にすっごい古臭いのありますよね。捨てないのは思い出の品なんですか?」
「海外に少しだけ留学していた時期があってね。その時につかっていたんだけど。
別に懐かしいからおいていた訳じゃないんだ。もし、行くことになったら改めて買いなおす
のは面倒だろう?だから置いてあっただけ」
「……この先海外行く予定ありますか?…私置いて。留学とか?」

少し不満げに見つめる亜美。

「さて、未来の事は分からないけれども。今の所君と旅行する以外にはないね。
この数年で私はすっかり不精になってしまったから。それがいいの?じゃあ、買おうか」
「出来たら雅臣さんのとイロチがいいのにな」
「あれはもう何年も昔のものだから。似たようなものを探すしかないよ」
「そっか。じゃああっちのピンクとか可愛いかな」
「何日くらいの予定なの?それによってキャリーの大きさも変わるからね」
「んー。3日くらい?なら、いい?」
「私は何日でも構わないよ」
「えー。困るな。……1週間とか」
「じゃあもっと大きい方がいいかな」

何時行くか何処へ行くか何も決まってないのにいつの間にか2人で熱中して
亜美のキャリーを購入。ついでに着ていけそうな服や小物までわざわざ選んで買った。
ふと冷静になったら馬鹿みたいだと思ったけれど。
どうせ行くしいいだろうと亜美は広げた荷物を眺め楽観的に考えた。


「海とか見ながらのんびりしたいな」
「いいね」

買った物をその日が来るまで家の倉庫に片付けながらつぶやく。
大きめのキャリーケースを運んでもらっていたから叔父さんも後ろで返事した。

「誰も知らないから気にしないでいいですね」
「私は普段からさほど気にはしていないけどね」
「じゃあぎゅーーっとくっついて歩いてやる。ふつーに道路でキスしてやる!あとはね…」
「…私を襲うつもりかい」
「何なら今からでもいいですけど」
「君の気持ちは分かったからその手の棒を下ろしてお茶にしよう」

若干ひきつった顔をする彼に手を引かれ亜美は廊下に出た。

「…バカンスで浮かれてそのまま…アリだな。うん」
「え。何が?」
「大丈夫です。ちょっと雅臣さんを押し倒す算段してるだけですから」
「……、…あ、そう。なんだ」


おわり


2015/01/21